「大卒」の価値の変容

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 前回、「管理職」について書いた。
 管理職は本来、高度な専門職であり、誰もが当たり前に管理職を目指すことを強いるのはおかしいということ。管理職を貴族か何かのように「偉い」ものとして扱う不合理さ等を指摘する中で、「採用段階で管理職候補として、院卒やMBA取得者等に限定し、高度な専門スキルを身につけている者を募集しても良いと思う」と書いた。

 それから数日経って、気付いたことがあったので、続きを書こうと思う。

 もともと昭和から平成初期の時代、「大卒総合職」こそが、今みたいにありふれた平均レベル社員を指すのではなく、もっと希少な「幹部候補生」位置付けだったのではないか。
 高卒で働くのが普通の世の中で、「平均的な一般社員」である高卒社員を統率し、管理するスキル持ちとして「大卒総合職」を取っていたのがもともとの姿ではないのか。
 いろいろ考えているうちに、そんな気がしてきた。

 今、平成を終えて令和の時代になり、「平均的な一般社員」が「大卒総合職」になっている企業が多いように思う。なのに、未だに社内制度が、「大卒総合職=管理職候補・幹部候補」のままになっているのが諸悪の根源ではないのか。だから社員の全員が全員管理職や幹部を目指すみたいな歪な構造になっているのではないか。

 先日見かけたネットの記事では、世界的にも大学卒業者が増えている中で、先進各国の企業幹部や管理職は「大学院卒」が当たり前になりつつあるそう。
 一方で日本人は今でも大学院を敬遠し、企業が院卒を敬遠する中で、大学院進学率が低調のまま推移し、国際的には相対的に「低学歴化」してきていることを指摘する記事だった。

 かつて、戦中・戦後は中卒で働くのが普通で、高校進学は限られたエリートだった時代があったと聞く。
 その高校がほぼ義務教育のような進学率になり、大卒がエリートだった時代が高度経済成長からバブルの時代。
 そして、大学進学率が上がった現代、大卒はもはやエリートではない。にもかかわらず、大卒をエリート扱いする制度や風習が色濃く残っていることに、現代の様々な不具合の原因があるんじゃないだろうか、という気がしている。

 大卒総合職は、かつての高卒一般職のように、与えられた仕事だけをこなし、定時に帰宅する。昇進も昇給もほとんどしないで現場で生涯働く。それで良いのではないかと思う。そしてその働き方を自然発生的に労働者側が「再発明」して実践しているのが「静かな退職」なのではないだろうか。

 一方で、やりがいを求めてバリバリ働きたい人もいる。そういう人たちが活躍できる場も設ける。仕事に対するスタンスは、人によって、もっと自由で良いと思うし、そうなってほしいと思う。

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