議論と口論

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 今年は、いろんな人のいろんな考え方が交錯することが多い一年だと思う。
 新型コロナウイルスによるパンデミックという緊急事態において、人が何を感じ、何を考え、何を大切に思うかの違いが浮き彫りになっているのが理由だけど、あわせて、僕ら日本人の「議論下手」も明るみに出ているなぁ、と改めて感じるところです。

 議論という言葉の意味を調べると、「互いの意見を述べて論じ合うこと。また、その内容。」と出ます。よく、「結論を出すこと」にこだわる人もいますけど、議論自体は意見を論じ合うこと、そのものを指すので、結論の有無は必須ではありません。
 日本人は、徹底的に議論を避ける傾向がありますが、それは「議論」と「口論」の区別が明確に付いていないからに他ならないと思います。だから、「議論をすると、相手を傷つける」「相手との関係が悪くなる」と考えがちです。

 一方で、口論とは、「口で言い争うこと。言い合い」を指します。争いですから、究極的な目的は「相手を打ち負かすこと」です。
 ひらたく言えば、「議論」は「意見交換」が目的なのに対し、「口論」は「口喧嘩」ということです。
 「自分を打ち負かすために相手が言葉で攻撃してくる」わけですから、「口論」は確実に人間関係を悪くします。

 多くの日本人はこの2つの違いをちゃんと理解していない。だから、正しい議論も行われないのだと思います。

 ここからは僕の意見になりますが。
 議論とは、「相手に対する敬意(リスペクト)」を常に維持しつつ、「相手の意見にもまた価値があることを認め」た上で「受け止め」つつ、「自分の意見をきちんと主張すること」だと思ってます。だから、相手の考えと違う意見を自分が言ったとしても、相手の人格を攻撃したことにはならないし、相手を尊重していないわけでもない。「あなたはそう考えているようだけど」「私はこう考えている」という事実の提示に過ぎないわけです。
 それを「あいつは自分と違う意見を言ってきた。けしからん」と思うのだとしたら、そもそも「相手に対する敬意が無い」ということですよね。

 そしてもう一つ忘れてはならないのは、「正解は一つではない。」ということです。相手が正しいことと、自分が正しいことは、決して矛盾しないということ。これを「自分の意見が正しいのだから、相手の意見は間違っているに決まっている」と決めてかかりがちなのが日本人の議論。

 そして議論の最終目的は意見の優劣を決めることではなく、それぞれの意見や視点を集めて、それらを総合し、より良い結論を導くことだと思います。

 だから、議論の最終目的に自分もしくは相手の「納得」を置くと、延々とすれ違い続けることになります。議論の目的は「納得」ではなく「理解」です。
 「相手は、こういう事実を積み上げて、こういう考え方を持っている」ということを「納得」できなくてもいい。「理解」すること。
 「自分は、こういう事実を積み上げて、こういう考え方を持っている」ということを、「納得させる」のではなく、「理解してもらう」こと。
 相互に、自分とは違う考え方を理解した上で、自分の考え方をブラッシュアップできないかを考える。それが議論の目指す先だと思います。

 SNSで「議論」することを良しとしない人もいます。そういう価値観もあると思うし尊重したいと思います。
 僕は、SNSは「自分の考えを書くところ」だと思ってますので、それに対して、「こういう考え方もあるよ」という議論は大歓迎です。
 僕の狭い視野を広げるために、そういう違う目線・違う考え方から生まれる意見はとても大事だからです。
 でも、僕を打ち負かすこと、「なんとなく気に食わない」という感情的理由で僕の人格を攻撃することを目的に仕掛けてこられる「口論」には付き合うつもりはありません。最初から拒絶するつもりは無いですし、できるだけ建設的な議論にしようと努力はしますけど、無理だと判断したらブロックします。そこまでして見て頂く必要はないので。

 相手に対する敬意を忘れず、様々な考え方を交流させる「議論」が、いろんな場所で活発に行われることを願いたいです。それこそが、未来に向けた変化のきっかけになると思います。

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