実際の未来

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 皆さんは子供の頃、「未来」そして「21世紀」って、どんな世界になると想像してましたか?
 
 交通機関が発達し、地方に住んでいても、いつでも都会に遊びに行ける。
 物流が発達し、全国どこにいても、同じものが同じ価格で手に入る。
 情報通信が発達し、都会にいなくても全国区で仕事ができる。
 この先どんどん、いろんなことが便利になっていく。
 
 つい10年ほど前まで。いや、コロナ前の4−5年前まで、僕が思い描いていた「未来」「21世紀」の姿はこんな感じでした。
 でも、去年から今年にかけて、これはもしかして違うんじゃないか? と感じるようになったので、文章にしてみたいと思います。
 

 

交通機関が淘汰され、都会に行くのは「贅沢」

 
 「少子高齢化に伴う人手不足」という枕詞が、あらゆる業界の話題に付けられるようになった。
 運転手不足だからバスは減便。人口減で需要が見込めないから鉄道は廃線。特急の割引きっぷは廃止。そして全席指定化。さらに、高齢者が増えて免許を返納する人が増え、マイカーでの移動もままならない。
 かつては、週末に高速バスやJRの割引きっぷで都会に買い物に行くのが当たり前だったが、これからはおそらく、それがどんどんできなくなる。都会に行くのが「贅沢」になっていく。
 これがおそらく、僕たちの世界線が向かう21世紀の実態です。
 
 となれば、地方在住者は思い切って都会に移住するか、地方にあるもので我慢するしかなくなる。
 身軽に動ける若者は都会に行き、動けない中高年は地方に取り残される。
 

物流が衰退し、地方では限られたものしか買えない世の中に?

 
 現在、コンビニやスーパーの全国チェーンが全国隅々まで出店し、全国どこにいても、同じものが同じ価格で提供されている。その種類は豊富で、消費者は選びきれないほどの種類の商品から、自分の好みに合わせて商品を選び、購入している。
 そんな便利さも、崩壊の瀬戸際に立たされていると思う。
 
 この便利さを支えているのは、「少量」「多品種」の輸送を可能としている物流システム。もっと言うと、トラックによる小口・多頻度の配送のおかげと言ってもいいと思う。
 そのトラック輸送が、人手不足で成り立たなくなりつつある。
 
 トラック輸送が利用できなくなったら、これまでのような少量多品種輸送はできなくなり、逆に確実に売れるであろう少品種を、鉄道や船を使って大量に送ることしかできなくなると思う。
 
 そうなれば、今のような華やかな売り場は都会にしかなくなる。地方は、その没個性的な大量生産品か、その地域で作られたものしか売られなくなるだろう。
 

この先、どんどん不便になっていく地方

 これまでは、基本的に時代が進めば、いろんなことが「便利」になっていく世の中だった。
 だが、この先、こと地方においては、時代が進めば進むほど「不便」になることを覚悟しないといけなくなっていると思う。
 それは、室蘭という北海道の片隅の地方都市にいると、本当に強く感じる。実際すでに、いろんなことが不便になってきている。
 
 室蘭市では、人口減に対応し、行政を効率化するために、数年前に「立地適正化計画」というものを作り、市内の市街化区域を、「都市機能誘導区域」「居住誘導区域」とそれ以外に分けて、誘導区域を優遇する政策を取っている。相対的に、それ以外の地域は不便になり、「住んでもいいけど自己責任ね」という状態。
 

 今は区域外のエリアに対して明確なデメリットは提示されてないが、「除雪が入らない」「道路整備が遅い気がする」等の声は市民から聞こえてきている。

 今後はおそらく、雪解け後の道路補修や、上下水道の維持管理、ゴミの収集など、様々な面で「区域外」はカットされていくことになるんだと思う。
 
 そして、おそらく、全国区で見た場合の「居住誘導区域」が、北海道では「札幌近郊のみ」みたいな感じに設定されて、それ以外の地域は国や道からも顧みられなくなる未来が来る。
 人口減が続き、これまで全国隅々まで張り巡らせたインフラを維持するのに見合うだけの人口が、もはや地方には無い状態が目に見えているためだ。
 
 実際、2024年1月1日に能登半島を襲った地震の復興事業に関して、これから人が戻るかもわからない地方に多額の復興予算をつけるのは如何なものか的な発言が国の中央官庁から出てきたような話も聞く。
 
 地方が中央から見放されていく時代がすぐそこまで来ているように思えてならない。
 

それでも地方に住み続けたいから・・・

 僕は、それでもあえて地方で住み続けたいと願い、Uターンしてきた。だから、これから死ぬまで地方で、いろんな方たちと力を合わせながら幸せに暮らし続けるには、何が必要か? を考えている。
 
 そんな中で、これから先、地方に住み続けるのに必要な心構えとは何か? と考えたときに、必要なのは自助の考え方だろうと思っている。
 それは、個人主義的な、他人が困ってても自己責任的な話ではない。
 地方のことは、その地方に住む人達自身で考え、行動して、協力し合って運営していくしかない、ということ。
 
 これまでのように、自分たちは地域のためには何もせず、何かうまくいかないことがあったら、やれ「国が悪い」だの「道が悪い」だの言うのではなく、自分たちの生活をより良くするための行動は、自分たちが自ら起こしていくしかないということ。
 
 身近な市町村の行政に対する関わり方も考え直さないといけないと思う。これまでのように、役所・役場がこう決めたからご無理ごもっとも、ではなく、主権者である市民みずから、自分たちのまちを50年後100年後どうしたいのかを考え、それを実現するために今自分たちができることは何かと、自分たちにはできなくて行政にやってもらわなきゃいけないこととを、しっかり切り分けして、主体的に行政に関わっていくことが必要だと思う。
 そのための手段が市長なり市議なりを選挙で選ぶことであって、その考え方から言えば、市議の定数削減なんて愚策中の愚策で、むしろ薄給にしてでも市議は増やすべきと僕は思う。
 
 欲しいものがあるなら、都会に買いに行くのが困難になる中、自分たちで作り出すか、コストを下げるために集団購買のようなことを考える必要も出てくるかもしれない。
 そうなると、平成の時代に「非効率な物流構造」と言われて切り捨てられてきた「問屋」「卸売業」のような業種が地方において息を吹き返すかもしれない。
 
 そういう意味では、もしかしたら地方は、「高度経済成長前」の社会に戻りつつあるのかもれしない、とも思う。
 
 変化は確実に起きている。
 それにどう対応すれば、地方で生きる我々の暮らしがより良くなるのか。
 他人任せにせず、自分たち自身で考え、行動することが大事だと改めて思う。

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