聖地巡礼の旅(2) 神戸編

聖地巡礼の旅、第二回目は神戸編です。
勤め先の社員旅行の行き先が神戸だったので、これはチャンス! ということで
東京に戻る日の今日、新幹線までの空き時間を利用して、さくっと行ってきました。

宿泊先は新神戸だったので、まずは地下鉄で三宮へ。
東出口を出ると、すぐに生田神社の参道に出ます。

参道を進んでいくと、生田神社に到着。
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この神社の創建は、神功皇后の時代にまで遡れるそうで、
ご祭神は稚日女尊。境内にはたくさんの神社があります。

神社に行って、目的の場所だけ行ってさようなら、なんて失礼なことはできないので、
まずは本殿に参拝。
同じ会社の社員がこの週末、お膝元を騒がせていることをお詫びし、
ここに来られたことを感謝し、境内の散策と撮影のお許しを願いました。

その後、境内を散策します。
境内には古戦場でもある生田の森などもあり、境内一帯が一つの文化財といった趣でした。

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そうそう。境内の池のほとりには弁天社があったので、
こちらにもきちんとご挨拶を申し上げました。

本当に、行く先々に弁天様がいらっしゃるのには驚きます。
そもそも日本全国に弁天社が多いのかもしれませんが、
なんとなく音楽・芸術の神様である弁天様のお導きを感じずにはいられません。

境内をひと通り回った後、目当てである石碑を探します。
石碑は鳥居をくぐって、ご神門をくぐる手前。えびらの梅のすぐ前にありました。

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宮城道雄音楽碑と書かれた石碑には、「むすびの神曲」の五線譜が掘られています。

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お墓ではないので、手をあわせるのはおかしいかなと思い、
深く一礼して宮城道雄先生への想いを新たにいたしました。

生田神社を後にして、表参道を進んでいきます。
すると、阪神電車とJRを通り過ぎ、道が若干何度か曲がりつつ、進んでいきます。

一帯は「旧居留地」というそうで、もともと明治の頃は外国人居留地だったそうです。
今は近代的なオフィス街になっています。

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さらに進んでいくと、木陰が見るも涼し気な並木道に出ます。

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この道に面して、宮城道雄先生のご生家があったそうです。

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ここが第二の目的地。宮城道雄先生の生誕地です。
石碑には「春の海の作曲者 宮城道雄生誕の地」と刻まれ、
嵌めこまれた金属プレートには、春の海の五線譜が1フレーズ分刻まれてます。

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すぐ前には、道雄先生の略歴が書かれたプレートがあります。

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書いてある文字は読むのが僕の主義ですので、夢中になって読んでますと、
どこからともなく春の海の旋律が流れて来ました。

てっきり1フレーズだけかな? と思ったら、思い切り全曲聞かせてもらえ、
なんとも幸せな気分になりました。

しかし、先生がお生まれになって120年。
このあたりに当時を思わせるような風景は何一つ残ってません。
「ここで宮城道雄先生がお生まれになったんだ・・」とは思うものの、
なかなか実感がわかず、ちょっと戸惑いながらの聖地巡礼と相成りました。

これで巡礼予定7箇所のうち3箇所を回ったことになります。
神戸はもともと生誕地のみの予定が、
思いがけず生田神社の音楽碑を訪ねることができたので、ありがたいことでした。

残り4箇所についても、出張などをうまく活かしながら巡礼を進めたいと思います。

押しダコが取れた・・

邦楽ネタですが。しばらくお箏弾く曲ないのをいいことに、稽古サボってたら、
押しダコが取れてしまってたようです。
昨日久しぶりに少し弾き込んだっけ、かなり痛かった。。(^^; 

うーん。弾く曲なくても、週に1回や2回は弾かないとダメだな、こりゃ。(^^;l

ちなみに来年の北海道三曲連盟の全道演奏会は「秋の言の葉」に決まったので、
次回帰省時に譜本持ってきて練習開始します。パートまだ決まってないけど。

あと、同じく来年の宮城会全国演奏会では、「飛鳥の夢」と決まってるので、
これもお箏になるはず。パートは支部上層部の先生方で検討中ですが、
そのうちこれも来るでしょう。

すると今度は、三絃の曲がこの秋の市民文化祭で終わっちゃうので、
しばらく三絃弾く機会無くなっちゃうんですよね。。

昔みたいに社中行事として、お正月のお弾き初め、夏の浴衣ざらいがあった頃は、
もっとたくさんの曲を勉強する機会があったんですが、
ここ数年はめっきり勉強する機会が減りました。

なんとかしたい、と思いつつも、なんともできない部分がありますね。
まぁ、これについても来年以降、ぼちぼち考えて行きましょう。

頑張ってさえいれば、どこかで誰かが見ていてくれるものなので。

うん。一つ一つの舞台を大切に、努めて行きたいと思います。

聖地巡礼の旅(1) 東京編

善は急げということで、聖地巡礼の旅、開始です。
第一回は、近場からということで東京からです。
この日訪ねたのは、新宿区中町の宮城道雄記念館と、
谷中墓地にある宮城宗家の墓所です。

最初に訪れたのは、宮城道雄記念館。
南北線を飯田橋駅で降り、神楽坂を登って途中で左に折れ、住宅街を進みます。
本当に、「この道でいいんだろうか?」と不安になるほど、閑静な住宅街が続きますが・・
辺りを見回すと、記念館の看板が出ています。

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そして5分ほど歩くと、遠くに記念館が見えてきます。

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本当に、住宅街に突然ひょっこり現れる感じで驚かされます。
ここはもともと、宮城道雄先生のご自宅のあった場所で、
歴代の宮城宗家がお住まいになり、門下の指導にあたった場所です。

記念館の地下には大広間と講堂があり、宗家の教場・お稽古場になってます。
箏曲宮城社の宗家主催講習会や試験なども、全てここで行われます。
箏曲宮城会の本部もここにあり、宮城社一門の本部機能が集約されているのが
この場所というわけですね。
宮城社の一門に属する者にとっては、聖地と言っても過言ではない場所です。

そして地上部分は宮城道雄先生の業績を顕彰する資料館になっており、
毎週水・木・金・土の4日間一般向けに公開されています。

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実は僕も、宗家の講習や教師試験で何度か訪れたことがあるのですが、
残念ながらいずれも日曜日の休館日で、展示室をちゃんと見学するのは
これが初めてでした。

なお、内部は撮影禁止になってましたので、ここからは拙い文章ですが、
文にてご紹介いたします。

入場料400円を支払うと、中に案内されます。
入ってすぐの場所は高い吹き抜けになっており、正面に第二展示室。
そのドアの上には、高さ数メートルはあろうかという、
巨大な宮城道雄先生のお写真が飾られています。
もう、圧倒的とも言うべき存在感です。

その近くには、一回り小さいですが、ご夫人の貞子先生、
後継者であった姪の喜代子先生、数江先生と、
歴代のご宗家の写真が寄り添うように飾られています。

歴代ご宗家のお写真に深く一礼した後、まずは右側にある第一展示室へ。
ここには宮城道雄先生の足跡が、演奏家として、教授者として、作曲家として、等、
様々な角度から解説されていました。
資料も、例えば先生が師匠の二代中島検校に入門した時の誓約書や免状、
演奏会のプログラムや出版物、楽譜、点字楽譜や随筆の原稿など、
第一級の貴重な資料が展示されています。

さらに目を引くのが、先生がお使いになった楽器の数々。
有名なお箏の名器「越天楽」の実物や、八十絃の復元品の他にも、
先生が越天楽の前に愛用されていた「第一箏」や、普段お使いだった三絃、
胡弓や尺八、短箏や十七絃などが、全て保存されています。

残念なことは、これらは全て楽器としての命は失っており、
展示品になってしまっていることですね。
絃もまともに締められておらず、三絃は合成皮革と思しき皮が張られ、
80絃も実際に使える状態とは見えませんでした。

せっかく、宮城社の本部にある、先生遺愛の楽器なのに、
なんとももったいないことのように思いました。

一角には、楽器以外の、先生が実際に使われた日用品やカバン、
杖なども展示されています。

僕が驚いたのは、「八重崎検校の杖と伝えられている」杖がここにあったことです。
どなたかが入手して先生に贈られたそうですが、なんとも不思議な感じがいたしました。

展示室自体は大きなものではありませんが、説明の文章も充実しており、
何よりそこにあるものがまさに先生がお使いになったものというリアリティを考えると、
非常に貴重な展示室と言えると思います。
僕は結局1時間近くをここで過ごしました。

第一展示室を見終わると、先に外の検校の間を見に行くことにしました。
ロビーから外に出ると、細い通路が記念館の裏に通じています。
その先にある小さな日本建築が、先生が晩年を過ごした書斎「検校の間」です。

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写真等で見るよりも、随分と小さく感じられましたが、
お庭に面したそのお座敷はとても静かで安らぎに満ちており、
まるで先生が今なおそこにいらっしゃるようにも感じました。

検校の間自体を撮影するのはなんとなく憚られたため、
お庭だけを撮影させて頂きました。お庭には先生の胸像が置かれています。

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都内とは思えないほど静かで、清浄な空気に満ちた場所でした。

お庭でのひとときを楽しんだ後は、記念館に戻り、第二展示室へ。
ここではCDやDVDの鑑賞ができるお部屋です。

ここで「春の海」と「瀬音」のDVDを鑑賞して、時間切れ。
名残惜しいながら、記念館を後にしました。

次の訪問先は、谷中の墓地です。
飯田橋駅から中央線で秋葉原駅まで行き、そこから山手線で日暮里へ。
そこから谷中の墓地へとやってきました。

場所は聞いていたものの・・ 区画が番号通りに並んでおらず(^^;
15分ほど迷って、ようやく目的地に辿り着きました。

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僕の先生の先生、いわゆる親師匠が道雄先生直門でしたから、
「◯◯(親師匠)の孫弟子に当たる者です。」と自己紹介してご挨拶申し上げました。

親師匠も、うちの先生が亡くなられる2日前に亡くなられてましたから、
きっとお浄土で道雄先生に再会されていると思います。

不肖ながら、宮城社の一門の末端にいる者として、
邦楽とくに宮城箏曲の発展普及に全力を尽くす旨、お誓いを申し上げてきました。

この後も迷いそうになりながら、ようやく谷中墓地を抜け、
この日の巡礼の旅は終了と相成りました。

記念館の展示物も。谷中の墓所も。本やネットの情報で知識としては持ってましたが、
実際訪れたことで、その場の雰囲気というか、空気感というか、
リアリティを感じることができました。

次回はどこにしようかな。。
巡礼の旅はまだ始まったばかりです。

聖地巡礼の旅への決意

旅のきっかけは、先日の箏曲宮城会北海道支部の総会。
支部長から、宮城道雄先生の墓所の場所について説明があり、
近くに行く機会があれば、お参りに行くようにお話がありました。

同じ総会の席で、今年の宮城道雄顕彰事業で支部を代表して、
宮城道雄先生が事故に遭われた刈谷での法要に出席された先生のお話がありました。

その時には深く考えてなかったんだけど。
日が経つにつれて、少しだけ気持ちに変化が出てきました。

先日のブログにも書いたけど、来年以降の活動に繋がりそうなお話が出てきてます。
もちろん、全国演奏会の話が第一。
そして、来年室蘭で行われる、北海道三曲連盟の全道演奏会。
同じ門下の姉弟子からお稽古に誘ってもらう機会も出てきましたし、
それ以外にも色々。

昨年末に師匠と死別してから、僕はとりあえず1年間の喪に服すことを決め、
今年は表立った活動は控えてきました。

北海道支部の全道演奏会は、先生も出られる予定だったことから、
先生の弔い合戦のつもりで出ましたし、
秋の市民文化祭は先生への追悼演奏の位置づけです。

12月に、先生が他界されて1年になります。
来年には喪明けということで、そろそろ前を向いて歩き始めなければなりません。

一時はこれを機に辞めることも考えましたけど。
僕らは、先生が育てた最後の門人です。

いや、門人という意味では僕より年若い子供たちもいましたが、
今は皆、辞めてしまって僕らが最年少。
そして、先生が育てた門人では最後に教師の職格を頂いた者です。

先生の遺志と、演奏技術と、邦楽に対する想いと。
それらを受け継ぎ、次の世代に伝えられるのは、僕達門人だけです。
そう考えたら、辞めることはもちろん、立ち止まることすら許されないと感じました。

「この先、いつできなくなるかも分からないんだから、
 できるうちはできる限り頑張りなさい。」

先生のそんな言葉に従って、これまで僕は続けてきました。
それは先生と僕との約束です。

だから。これからもできるかぎり頑張って行きます。
「こんな時、先生なら何と言うだろうか。どうするだろうか。」
常にそれを自問しながら、先生の門人として恥ずかしくないように。

来年、僕は邦楽において再起動します。
奇しくも、ちょうど僕が先生の許に入門して、来春で丸三十年。
新たな気持ちで、芸道に精進したいと思います。

長くなりましたが。
再起動するにあたり、僕らの流祖である宮城道雄先生の足跡を辿ってみたい。
そういう気持ちが強くなりました。

僕たちは箏曲宮城社の一門です。
演奏する曲は宮城道雄先生の作品です。
であれば。先生の足跡を辿ることで、きっと得られるものもあるはず。

そんな思いとともに、再起動までに以下の場所を回ることを目標にしています。

・宮城道雄記念館(東京)
・宮城道雄先生の墓所(東京)
・楽聖宮城道雄先生供養塔(刈谷)
・宮城道雄記念碑(伊勢)
・天響の門(南紀白浜)
・宮城道雄生誕の地(神戸)
・楽聖宮城道雄先生像(福山市鞆町)

何回かに分けての、ちょっとした大仕事になりそうですが。
今やらないと、これからも厳しいと思いますので、少しずつ進めて行きたいと思います。

食生活改善中

どうも最近、体重が落ちにくくなりました。
20代の頃なら、自炊生活に戻れば体重は徐々に落ちたもんなんですが、
ここ数年は自炊生活に戻っても体重が落ちません。

これはもはや、これまで理想と思ってた食生活が、
30過ぎのオッサンの体には合わなくなってきたんだと認めざるを得ない状況です。

とりあえず基本。
過剰に取った栄養を、必要もない運動をして消費するというのは
僕の考え方にはありません。
日々の生活で消費する分だけを、食事で補えばOKなのです。
それ以上に食べるから、太るわけで。

体重が落ちなくなったってことは、このバランスが崩れて来たったことです。
加齢によって基礎代謝が落ちてきているんでしょう。
それに合わせて、食べる量を減らす必要があります。

正確には、量ではなく、取り入れるエネルギー量ですね。

これまでは朝食がごはんと味噌汁、昼食がおにぎり2個、夜がコンビニ弁当か、
自炊の時は麺類(1.5玉~2玉)という食生活でした。

先週末、健康診断があったこともあり、先週からこれを見なおしてます。
それは、炭水化物の制限です。

もともと僕はご飯大好き、麺類大好きの炭水化物スキーさんなんですが、
炭水化物は体内で即、エネルギーになるため、取り過ぎるとエネルギー過剰になります。
なので、ここを調整する必要があるだろう、と。

先週は健康診断までにある程度落とさないといけなかったため
炭水化物の摂取を一日3食のうち、1食だけに制限しました。
朝食は味噌汁だけ。昼はそのままおにぎり2個、夜は何か野菜と肉類のおかずだけ。

これを1週間続けたら、72キロが69キロまで落ちました。これで健康診断は無事クリア。

今週からは若干緩和して、夜は炭水化物解禁してます。
ただし1回1食分の鉄の掟発動です。(笑) 
麺類とかは物足りない感じがしてつい2食分以上作りがちなので。
そばもうどんも1回一束。パスタは100g。焼きそばもラーメンも1玉。(笑 
たっぷりの野菜と頂きます。

そうは言っても、朝が味噌汁だけだと、なんともなので、
来週からは朝食に大豆食品を取り入れようと思ってます。豆腐とか納豆ですね。

炭水化物を制限している分、それ以外のもの、
たとえばタンパク質や野菜類は多めに取って行きたいと思ってます。

現在、減量効果は足踏み中ですが、まぁ無理してリバウンドしても仕方ないので、
徐々に落として行きたいですね。

今年は準備の年。

年末になると神社から配られる「神社暦」
そこに、生まれ年ごとに1年の運勢が書かれてるのをご存知ですか?
九星気学というものに基づいたものだそうですが、
それが割と当てはまっているなぁ、と最近感じます。

僕の生まれは二黒土星です。
今年の二黒土星は、坤宮にあたるそうで、昨年までの低迷期を脱し、
次の活動期に向けて徐々に運気が上向く年とのことです。

ただ、最悪期を脱しただけで、運気自体はちゃんと回復してないため、
今年に何か行動を起こすのはNG。来年以降の躍進に向けて準備するべしとのこと。

なので、細かいことはわかりませんし、何から何まで占いに縛られるのは嫌ですが、
「今年は、新しいことを始めるのは避けよう」ということと、
「来年以降に向けて進めて行ける物事の準備はきちんとやろう」ということを
心がけて過ごしてきました。

そうして過ごしてきた結果か、仕事には一切明るさは見えませんが、
プライベートにおいては、来年以降さらに成長できそうかな? 
というような話題がちらほらと出て来始めてます。
来年の宮城会全国演奏会への出演の話もそうですし、
それ以外にも、ちらほらと色々なお話が聞こえてきています。

もちろん。日々の地道な努力を怠れば全て崩れてしまうものですので、
あらためて肝に命じ、日々精進して行きたいと思います。

ちなみにですが。
僕はIT業界に身を置く者ですが、神仏を信じています。特定の宗教を云々ではなく、
人智の及ばない領域というものが存在するということを信じてます。
人間など、ちっぽけなものです。
ちっぽけな人間の振りかざす科学とやらも、笑ってしまうくらいにちっぽけなものです。

そんなものよりも、過去数千年にわたって先人たちが信じてきたものを、僕も信じたい。
常日頃、そう思って日々を過ごしています。

人の限られた五感が感知できる世界など、実際の世界の何%でしょうね?
人はまだまだ無力です。そのことを自覚することが大切かな、と思います。
ソクラテスの「無知の知」ではないですけども。

合奏するということ。

昨日、所属するお箏の流派の北海道支部総会が札幌で行われたので、出席してきました。
正会員数293名を数える北海道支部のうち、37名の出席をもって総会が開催されました。

事業報告と収支決算報告。事業計画と予算。
このあたりはいつも通りで、つつがなく終了。

そこからが大変。
1つ目は役員の改選。事務局長さんが任期終了に伴い退任されるということで、
後任を審議したんですが、まぁ簡単に決まるはずもなく。

現事務局長の考えとして、
事務局長の仕事が大変なため2名体制にした方がいいのではないか、ということと、
行事や合同練習、会議が札幌で開かれるため、事務局は札幌にあった方が望ましい
という2点が示され、総会にて同意を取り付けました。

最終的な人選は支部長始め上層部に一任するということで、審議終了。

もう一つが、来年の全国演奏会について。
パート分けは上層部にお任せ下さいとの支部長の言葉に同意。
そこで出てきたのが、合同練習を何回するのか、という話。
そして、そのうち何回出るべきなのか、というお話。

ここで議論が深まり、長時間を要しました。
細かな内容は伏せますけど、2010年の全国演奏会、昨年の全道演奏会の折、
合奏練習の出席率が極端に悪かったという個人と
その社中が吊し上げにされそうになったり、少々ドキドキする内容でした。

こういう追究って、男性の支部長だからの面もあるんでしょうが、
少々怖いな、と思ったのが正直な感想です。
もちろん、より良い演奏を創りあげるために、支部としての規律を守る意図から、
心を鬼にしておっしゃったことと思います。

その中で、「合奏とは何か。」「合奏練習とは何か」という話題が出てました。
僕はそんなテーマに対して発言する立場にはありませんので、
自分の考えを表明することはしませんでしたが、諸先生方と考え方は一緒でした。

個人的には、合奏はチームワークと思ってます。
スポーツと同じで、個人個人がどんなに活躍しても、
それがバラバラでは意味がありません。

一つの目的に向かってチームのビジョンが一致し、役割分担し、
各個人がちゃんと役割を果たすこと。それが合奏だと思います。
そして、そのビジョンを共有し、役割分担を確認し、実践練習をするのが合奏です。

そのチームワーク、1度顔合わせした程度では生まれません。
何度も何度も一緒に稽古することで、初めて生まれてくるものです。

我々は演奏者ですから。舞台に出ることを承知するということは、
舞台で、自分たちができる最高の演奏をすると約束すること。
その為にあらゆる努力をすることを約束することに他なりません。

本番の舞台に出ることだけに承知したわけではないはずです。
本番に至るまでの、創りあげのプロセスに、チームの一員として参加すると、
そう約束することが、舞台に立つ、ということだと思います。

なので、合奏練習の例えば5回あるうち最低4回は・・とか、
1回は休んでいいとかではなく、5回あれば5回全て出る義務がある。
そう考えるべきだと僕は思います。

少なくとも僕は自分の師匠の教えをもとに、このように解釈してます。

ただ、全員が全員そう考えるかどうかは別。
個人の価値観・考え方は尊重されるべきです。

ならば。舞台には出たいけど合奏練習には行きたくないという方には、
「舞台」と「合奏練習」は分けることのできない一体となるものですから、
「舞台に出ない」という自由を行使して頂ければ結構かと思います。

ついついダラダラと自分の考えを書いてしまいました。
総会後、先日の全道演奏会でお世話になった先生方にご挨拶して回りましたが、
やはり同じチームとして本番を乗り切ったメンバーとして見て頂けてるのが、
大変親しく接して頂き感激しました。

そして、意外に北海道支部の先生方から顔と名前を覚えて頂いて。
親しく声をかけて頂く先生が多くなったことに驚いてます。
一生懸命頑張っててよかったと報われた気持ちになりました。

とある先生は、うちの師匠が亡くなられたことで、
僕がこれからどうするのか、と気にかけて下さった方もいらっしゃいました。
「うちの先生のご遺志ですから、これからも北海道でご一緒させて頂きたいと思ってます。」
そうお伝えしました。

このように暖かく受け入れて下さってる皆様なので、
未熟ではありますけど、少しでもご一緒に勉強させて頂きたいな、と感じました。

ふるさとを思う心はひとつ

昨日9月7日は、アルカディア市ヶ谷で行われた東京室蘭会総会・懇親会に出席してきました。
昨年につづいて2回目の出席です。

今年は出席者が260余名と昨年よりも多く、大変盛況な会でした。
これだけの人数、世代も社会的立場も様々な人たちを集めたのは、
ふるさと「室蘭」への想いです。

本当に、今室蘭に住んでいる市民の皆様にこの熱気を伝えたい。
どれだけ東京に住む同胞が室蘭を懐かしみ、室蘭を恋しく思っているか。

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昨年は仲間内5-6人しか知り合いがいなかったのですが、
この1年間でFacebookを通じた人脈は大きく広がり、とても多くの方と楽しい時間を過ごしました。
昨日お会いしたFBのお友達は計10名。こんな感じで輪が広がっていくと楽しいですね。

そして開会。青山市長のあいさつの中で気になる一言。

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「聞く所によれば、東京でもSNSを通じて室蘭を応援している若い世代がいるとのことで」云々と。

・・・・。

もしかして僕らのこと・・?

ちょっと嬉しくなってしまいました。
僕が今直接管理しているFBページは350人ですが、
副管理人をしている別ページはまもなく1000人を超えます。
それなりに僕らのやっていることが認知されてきているんだな、と嬉しく思うと同時に、
認知されると、うかつなことはできないな、と改めて気が引き締まりました。

ちょっと考え方の違いとかもあり、1000人の方のページ運営からは少し離れてますが
(もちろん、管理人さんからの協力要請があればいつでも何でもしますけど。)
自分が直接管理しているページについてはこれからも記事の質を上げ、
いろいろな企画を行い、ファンを500人、1000人と増やしていきたいと思います。

その一環として、今回の東京室蘭会では、
自作のチラシを各テーブルに置かせて頂きました。
残ったのを回収してみた範囲では、半分以下になっているので、
結構な人数の方に持ち帰って頂いたものと思います。
どの程度効果があるかわかりませんが、ぼちぼち増えてくれるといいなぁ、と思います。

また一年、頑張ります。