タイトなスケジュール

さて、岡山から帰ってきたと思ったら、すぐにこの週末は北海道です。(^^;

29日はいつものように4時起きで羽田へ。
「あれ? つい10時間ほど前にもここにいたなぁ?」などと首をかしげつつ、
6:50発のADO011便で北海道へ。

8:25に新千歳空港到着。8:49の快速エアポートで隣の南千歳へ。
南千歳からは9:04のスーパー北斗に乗り換え、東室蘭には9:57到着

そこから一度実家に帰り、すこしのんびりした後、お昼に出かけて、
午後からは箏の合同練習。

その後は実家に戻り、夕食を食べに出かけた以外はのんびり過ごしました。

さすがに二泊三日の出張の翌日に北海道はしんどいものがあります。(^^;
もう歳かなぁ。。(^^;

料理のこと

今日2つめの記事です。
最近、書かない日も多いんで、たまに1日2件書いてもいいよね。

今日も時間があったので、手羽元を買ってきて、圧力鍋で甘辛く煮付けて夕食にした。
この味付け。レシピとか見てると、たいてい「醤油、酒、みりん、砂糖」って書いてるんだよね。

「甘ったるいの嫌だから、みりんは入れずに酒と醤油と砂糖少々で。」
ひとりごとを呟いて、ふと考えました。
そういえば、これって当たり前の自分の好みのように思ってるけど、実は誰かの受け売りだよなって。

誰の受け売りか。勘のいい方ならお分かりだと思います。うちの母です。

男の手料理って言うけど。
男の料理って、結局は自分の母親の料理がベースになってるなぁ、と最近実感します。

例えば、うちは母が10年ほど前に死んでるので、今は父が自炊してるんですが、
たまに帰省した時に食べさせてもらうその料理は・・・ 
実は僕が慣れ親しんだ母の味とは違うものです。

そう。父の母親、つまり祖母の料理がベースになってるんですね。
最初の頃は、うちの母はこんな味付けしなかったはずなのに、何で? と思ってましたが、
祖母の味なんだと気づいて、納得しました。

そして、自分が料理する時の味付けとか調理とか。味の好みとか。
よくよく考えてみれば、子供の頃、当たり前に食べていた母の味なんですよ。
「おふくろの味」なんて言いますけど、自分で料理してると、かならず母の味がベースにあって、
それを再現しようと色々工夫してる自分がいる。

最近、また料理に凝り始めてて、圧力鍋を衝動買いしたり、食材買い込んだりしてるけど。
圧力鍋使って何作るかって言ったら、子供の頃、母が作ってくれたいろんな料理の再現だったり。

当時は毎日、何もしなくても出てくる熱々の料理が当たり前だと思ってたけど。
今にして考えたら、たぶんあれが一番美味しいモノだったんだなぁ。

って言うと、世の女性たちは「マザコン」と言うのかもしれんけど。

やっぱ、僕には他人と家族になることは無理かもなぁ。。

食の安全って。。

先日、後輩と話してて驚いたことがありました。

その子は、食品の消費期限/賞味期限問わず、一日でも過ぎたら捨ててしまうのだとか。
過ぎて無くても、色が変わったら捨ててるのだとか。
ものすごく得意げに話してたので、それは違うだろ、と突っ込みを入れてしまいました。

まぁ、僕はこの後輩にナメられてるので、口論になってしまったわけですが。

曰く、社会人の責任として、少しでも体調を崩す可能性のある食べ物は食べられない、だとか。

でも、この世に、体調を崩す心配が100%無い食べ物なんて存在するんでしょうか?

すると考えてるのだとすれば、それこそ「食の安全」に対する認知不足と言うべきです。
期限前だって、保存方法とかがまずくて傷んでしまうこともありますし、
逆に、上手に調理してあげれば、多少鮮度が落ちてたって美味しく食べられます。

そもそも消費期限、賞味期限って、どんな基準で付けられてるんでしょうか?
ある程度の裏付けはあるにせよ、製造者側に都合のいいように、勝手に決めてるだけでしょ?

人間には、もともと食べられるモノと、食べられないモノを見分ける能力が備わってます。
それは目で見て、匂いを嗅いで、味わってみることです。
よくよく注意して観察すれば、本当にやばいものはわかります。

その能力をきちんと訓練すること。教育すること。それこそが食の安全を守る、
絶対唯一の方法だと思います。自分の身は自分で守るしかない。

消費期限とか賞味期限に振り回されてる人は、自分の身を守る責任を
食品の製造者に押し付けてるだけです。
押し付けた挙句、まだ食べられる食べ物を無駄にしているだけです。

悲しいことに、そういう人が世の中に増えてます。
そうやって捨てられる食べ物が少しでも減ってくれればいいんですが。。

ダークサイド。

みんな多かれ少なかれあることだと思いますが。
ちょっと飲み過ぎたお酒と、会話についていけない疎外感がきっかけになって、
心の底のダークサイドを覗いてしまいました。。

最近はずいぶん心が強くなったつもりでいたけど。
それは強くなったんじゃなくて、精神力が比較的充実してて、
自分の心を支え、鎧う(よろう)ことができていただけなんだと実感。

精神力が充実している時は、自分に自信を持って、日々を前向きに生きている「フリ」ができる。
だけど、精神力が枯渇すると、とたんに本来の自分が出てきてしまう。

本来の自分。自己を肯定することができず、何ごとにも後ろ向きで、
「自分なんてこの世に必要ないんだ。」って常に思ってる自分。
今日より明日が幸せだなんて幻想も抱けず、希望もなく、ただ消えてしまいたいと願う存在。
かといって、自分を殺してしまうほどの勇気も信念もなく。ただ惰性で生きる存在。
(それを勇気と呼ぶべきか、は置いておいてね。)

今回は幸い、一晩明けて酔いから醒めて、
FaceBookを通じた、たくさんの人からの激励のお陰で、
はっと我に還ることができたけど。

ちょっと、精神的に疲弊して来てるんだな、と自覚した。
確かに、最近ものごとをネガティブに受け止める傾向が強くなってきてるし、
ひがみ、ねたみ、うらみと言ったネガティブな感情に振り回されがちになってる。

ちょっとここらで立ち止まって、自分を立て直さないとまずいかも、と思いました。
3年前のこの時期、ダークサイドに堕ちてしまって、なかなか戻れなかった時の辛さは繰り返したくない。

自分を見直す時期に来てるのかな。そう感じた出来事でした。

今、目の前で起きていること。

もう日付が変わってしまったので、一昨日になりますが。
仕事で福島県郡山市に出張して来ました。

郡山支店の係長に同行して客先2件ほどを回ったのですが、
その時のできごと。

「あのマンションもダメで全員立ち退きらしい。しかも分譲だぜ、あれ。」
「この前の台風で川が溢れちゃって、○○デンキさんが水に浸かっちゃってさ。買ってもらったばかりのPCがダメになっちゃったらしくてさー。」
「本当はあっちの道の方が近道なんだけど、震災でボロボロになってて通れねーんだ。」

確かに。郡山市内。
市役所を始めとして、半壊状態の痛々しい建物がまだ放置されてたり、
妙に不自然な更地が多かったり、
道路が不自然に凸凹してたりしました。

東京都内にいると、もはや震災は「過去の出来事」になりつつありますが。
まだ被害が少なかったはずの郡山市内ですら、震災はまだ「今目の前にある出来事」なんだ・・と、
そんな思いを新たにして来ました。

僕はここ半年ほど、災害への備えを呼びかける趣旨のセミナーを何度もやってきましたが・・
やっぱり大多数の東京都民と同じく、震災の経験を風化させてしまいつつあるんだ・・と。
風化させちゃいけないんだ・・と、そんな思いを新たにしました。

この目で見てきた被災地の状況。きちんと心に刻みつけておきたいと思います。

ぶらり☆ 室蘭散歩

さて。この週末はいつものように室蘭に帰省したんですが、
いつもと違って、父が出かけていたので、車が使えず・・ バスと徒歩での移動でした。



(画像をクリックすると、別ウィンドウに大きな画像が出ます)

朝10時20分発のバスに乗り、11時過ぎに室蘭市中央町の少公園前バス停に到着。
ここからが歩きです。上の地図では、緑の「>」マークのあるところですね。



中央通りを北上し、プリンスホテルのところで海側に曲がり、
浜町商店街(旧浜町アーケード)をのんびり歩きます。



ここのアーケードが撤去されてから1-2年しか経ちませんが、
さらに何箇所も空き地になってて、残ってるお店も皆、シャッターが降りているという、
典型的なシャッター通りになってしまってますね。。

さて。なぜこんな早い時間にここに来たかというと、お目当てがあって。
浜町アーケードに、室蘭市民なら誰でも知ってる、天丼の名店があります。
「天勝」というお店なんですが、ここの天丼が絶品なんですね。
ごま油で香ばしく揚げられた天ぷらに、甘辛のタレがよく絡みます。

腹ごしらえが済んだのは11時半過ぎ。
今日は13時半からNHK室蘭のプラザμで演奏会があるのですが、まっすぐ行くと早すぎる。
なので、ぶらぶら散歩を続けることにしました。

天勝を出て、もう少し行ったところで海側に折れ、通称浜町小路を室蘭郵便局(通称本局)まで抜けます。

そこからは海岸通りを歩き、途中の小路を山側に折れて、上の通りに出ます。
この小路、通称「日本一の坂」と言います。なぜ日本一か・・・勾配が日本一きついわけでもなく。
昔、この小路の入り口に、日本一という蕎麦屋さんがあったのが由来とか。(笑)

上の通りに出て、さらに北上すると、室蘭総鎮守の室蘭八幡宮の鳥居が見えてくる・・はずが、
見えてこなくて、あれれ? と思ってると・・・



鳥居が工事中でした。(^^;

せっかくなので、鳥居をくぐり、長い階段を登って八幡様にご挨拶してきました。
早く室蘭に帰って来れますように、とお願いするのも忘れずに。

登ってきた階段を下り、鳥居を出ると、正面の崖下には旧室蘭駅が見えます。



崖を下るには、またまた階段です。足がもうガクガク。(笑)
で、正面から見た旧室蘭駅。



この駅舎は明治45年に開業したもので、平成5年に新しい室蘭駅が出来るまで、
道内最古の木造駅舎として活躍していました。
明治時代の洋風建築の雰囲気をよく残してる、高天井のロビーで一休み。

一息ついた後は、旧駅舎の脇を通り、かつての線路を渡って港の方へ。









この「中央埠頭」は本来、客船バースなんですが、
客船がいない時は一般の船舶にも解放されているらしく。
この日は四国の今治から来た小型タンカーが係留されてました。

港で潮風に当たった後は、少し戻り、栗林商会本社の前を通り、
サッカーJ2の公式戦も行われる入江陸上競技場の前を折れて、
そのまま現在の室蘭駅へ。



室蘭駅で二度目の休憩を取った後、ぼちぼち13時過ぎになったので、来た道を途中まで戻り、
入江高架橋の下を通る歩行者専用道路を山手町方面へ。目的地NHK室蘭に到着しました。

距離にして5キロほど。時間としては2時間ほどの散歩でしたが、
これが室蘭の旧市街とも言うべき場所なんだなー、と感慨深く見ました。

いや、旧市街って言うと悪い意味みたいですけど。
言いたいのは、産業革命前、移動手段が動力化される前、
ぶっちゃけ、市民が徒歩で生活していた時代の室蘭って、だいたいこの範囲だったんだろうなぁって。
歩いて行ける範囲に、生活に必要なものが全て揃ってる。

つまり、都市設計が、市民が徒歩で移動することを前提に開発されたエリアなんですね。
なので、市民が車で移動する時代になると、むしろこの細い街路、込み入った街並みは
マイナスにしかなり得なかった。そういうことになるんだと思います。

だけど、今思います。
環境問題が叫ばれる中、自動車を生活の足に使い続ける生活が正しいのでしょうか。
少子高齢化が進み、高齢ドライバーの自動車事故が増えてます。
高齢者に運転を強いる生活が、人にやさしい生活なのでしょうか。人にやさしい街なのでしょうか。

この、歩いて暮らせる街、っていうコンセプトが再評価されてもいいんじゃないか。そう思います。

現に、ヨーロッパの古い都市とかだと、
同じように徒歩ベースで設計されている旧市街地区は
自動車の出入りを禁じている都市も数多くあります。
そして、そこが人も訪れず、廃墟になってるのかと言えば、そんなことはなく。
人々は、中世の頃と何ら変わらず、歩いてどこにでも行き、何不自由なく生活しています。
自動車を使うのは、本当に遠くに行く時だけ。

日本も、そんな生活が当たり前になる日が来るといいなぁ、と思います。

今回、散歩してみて、つくづく思いました。
僕は、この街に住みたいな、と。

それも、生まれ育った室蘭市港北町ではなく、中央町で暮らしたいな、と。
港北町も閑静な住宅街で住みやすいんですが、
ここは自動車がある前提で、住宅に特化して開発された新しい街です。
自動車のない人が、歩きで生活しようとするには暮らしにくい街なんですね。

中央町なら、車が無くても生活できる。
まして、人口減少で市街地でありながら、地価も下がってるはず、と。

将来、ご縁があれば、室蘭市中央町に住みたいものです。
そんな思いを新たにした休日でした。

ふらふら。

前日の深酒と、抗ヒスタミン剤の副作用で、意識朦朧の悠也です。(^^;
今日も午前中はほとんど仕事になりませんでした。

体力・気力が充実してる時は、
抗ヒスタミン剤の副作用もそれほど強く出ないんだけど、
疲れてる時にはてきめん。本当に何もできないくらいの倦怠感があります。
間もなく病院から処方された薬が終わるので、
次は市販薬で、もう少し違う成分のを探そうかな、と思ってます。

懇親会

なんだか1週間もサボっちゃうと、どんどん書くのが面倒になっていきますね。。(^^;
それじゃあかんので、とりあえず今日あったことをば。

今日は某メーカーさんとの懇親会でした。
一次会は有楽町駅近くのスペイン料理屋さん。

当初は、あまりありがたくない選択と思ってましたが、
料理の出てくるタイミングも良く、味も良く、
満腹にはなりませんでしたが、ほどほどに満足できました。

二次会はダーツバー。
ダーツなんて経験が無いうえ、ほどほどに酔っ払ってたので、
完全に適当に投げました。おかげでテキーラ一杯頂くことになりましたが。(笑)

そんなこんなで24時頃帰宅。
寝る前に胃の中にあるものを全て吐いて、それから寝ました。

これ、意外と有効で、飲み過ぎた時にこれをやるのとやらないのとでは、
翌日の残り方が全く違います。

まだ週初めだしね。
ほどほどにして、また一週間頑張りますvv

東京に帰還。

朝、共演者の先生に釧路駅まで送って頂き、
釧路空港行きのバスで空港に移動。
11:15発の飛行機で東京に戻りました。

意外と飛行時間が長く、羽田到着が13時。
自宅へは14時過ぎに到着しました。

その後は軽く昼寝をして、あとはごそごそ作業をして一日終わりです。
非日常はおしまい。明日から日常に戻ります。

日常をちゃんと過ごすからこそ、非日常を楽しめる。
だから、きちんと日常に戻りたいと思います。

演奏会当日

3年に一度の、北海道三曲連盟 定期演奏会が釧路で開催され、
僕も室蘭三曲協会代表として出演して参りました。

その感想とかもろもろは、ここに書くと長くなるので、
以下の別ブログご参照下さい!(手抜き)

悠也の邦楽日記
http://yuuya-net.plala.jp/myamada/hougaku/displog/218.html

夜、オフィシャルな懇親会が終わった後は、
またまた繁華街に繰り出して、今度はおでん屋で一杯。
寒い夜でしたが、ほかほかになって帰ってきました♪