昨日は要用のために夕方、浅草橋まで行ってきました。
浅草橋です。浅草じゃないですよ。
駅に、「ここは浅草ではありません!」って注意書きがあるくらい。
たぶん、赤羽と赤羽橋くらい違います。
用が済んだ後、浅草橋駅まで戻って来たところで、ふと、古巣のあった亀戸界隈を見てみたくなり、JR総武線の千葉行きに乗りました。
この黄色い電車に乗るのは何年ぶりでしょう?
しかも、ホームドア導入のあおりですっかり絶滅危惧種になってしまった6ドア車です。この車両、座席が少ない分、室内の立つスペースが多い上に、ドアが多いから乗り降りしやすく、僕はあえて6ドア車に乗るようにしていたくらいでした。
そんな6ドア車も、京浜東北線から消え、山手線から消え、埼京線からも消え。
寂しい限りですね。
そうして浅草橋から3駅先で降りた場所が、古巣の亀戸です。
僕が東京に来たのは2006年ですが、その時に住んだのがここ亀戸でした。
その後2011年に今の北千束に移りましたので、4年ほど住んでいた計算ですね。
あの震災の時も、住んでいたのはここ亀戸でした。
亀戸のある江東区は、いわゆる海抜0メートル地帯で、標高がマイナスです。
つまり、堤防が決壊したり、津波が来たら水浸しになるということです。
引っ越しの直接の理由は、楽器を弾ける家に移ることでしたが、家を選ぶ上で、高台であることというのは少なからず重視していた要素といえますね。
駅前にはこんなモニュメントもあります。
現在の荒川の水位がLEDで表示され、目盛り部分には過去の水害の水位が刻まれています。そんな水害と背中合わせのまち、それがこの亀戸というまちですね。
駅を出て北にまっすぐ進むと、広い道路と賑やかな商店街が続きます。
住んでいた当時からあるお店もたくさんありますが、一方で無くなったお店・新しくできたお店もたくさんありました。
とくに驚いたのがコンビニが増えてたこと。
僕がいた当時、ファミマが2件、コミュニティ・ストアが1件だったんですが、ファミマが3件、セブンが2件に増えてました。しかも全て500メートルほどの距離の間にですよ? ちょっとやりすぎ・・とげんなりしてしまいました。
僕が住んでいた頃よく利用していた「ローソンストア100」のすぐとなりには、可哀想にイオン系列のミニスーパー「まいばすけっと」が出来てました。
まさに仁義なき戦いという感じですね。。
僕が以前住んでいたのはそんな通りの一角。
今住んでる場所から見たら、ずいぶん都会だなーって思いますね。
ここに住んでた頃、よく散策していた場所があるので、そこを訪れてみることにしました。
一箇所目はここ。亀戸香取神社です。
この神社、創建が665年だそうで。
ひえぇーー!? 1300年以上前からここにあるの!? と上京したての僕はぶったまげたのを覚えてます。何気ない近所の神社ですら、ものすごい歴史が眠ってる。東京というのはすごいまちです。
手水舎で手と口を清めた後に参拝。つつがなく元気に暮らしている旨を報告してお礼申し上げました。
そして次に向かったのが、香取神社から西にしばらく行ったところ。
藤の名所としても有名な亀戸天神社です。
天神様といえば、菅原道真公ですね。学問の神様です。
ここもちゃんと手水舎で清めてから参拝。つつがなく元気に暮らしていることを報告し、お礼申し上げました。
ここではもう一箇所。
実はここの天神様、境内の池のほとりに弁天社が祀られています。
弁天様といえば芸事の神様。
そして不思議な御縁で、今僕が住んでいる近くにある洗足池にも、大きな弁天社があります。4年前、楽器を弾ける場所に住みたいという僕の願いを聞き届けてくれたのは、もしかしたらこの弁天様ではないかな、と感じているのです。
この弁天様にも深く感謝申し上げて、亀戸天神社を後にしました。
そのまま西に向かい、錦糸町の駅に向かいます。
途中にある横十間川からは、スカイツリーがよく見えます。
あの塔も、僕がここに住んでた頃は工事中でした。
まちも、ひとも、少しずつ変わっていくなぁ・・・と思いつつ、散策を終えて、錦糸町から帰途につきました。