ここ2-3ヶ月ほど、ご縁があって地元室蘭市の市民活動系にいくつか関わる機会があった中で、強く感じていること。
この時代、人口が右肩上がりに増えていく状況は期待できない。まして、室蘭が半世紀後に100万都市になるかといえば、それはありえない。
でも、かといって衰退していくのを当たり前とは思いたくない。
人口が減ってもいい。室蘭らしく、室蘭気質がちゃんと引き継がれて、街として輝く存在であって欲しい。
今、多くの市民が「室蘭はもうダメだ」と思ってる。「室蘭にいいところなんて何もない。」「これからもっともっと悪くなっていく。」って。
だけど、逆説的だけど、市民のそういう後ろ向きな気持ちが、室蘭をどんどんダメにしているように思えて仕方ない。
例えば隣の伊達にしても、登別にしても、自分の街を「もうダメだ」と思ってる人は、割合としては少ないんじゃないかな、って思う。
室蘭はこのままいくと、数年後には両隣の2市と合併の道を歩んでしまうのではないかと思う。
そうなると、今の輝きのない状態の室蘭では、「室蘭」の名を残すことすらできないと思う。
僕は、室蘭が無くなるのを見たくない。
全国には、人口10万人以下でも、特色を活かして輝いてる街がたくさんある。
道内でも富良野なんかは2万5千人しかいない。
道外だと上杉鷹山の米沢藩で有名な米沢市が9万。
最近、外国人旅行客に大人気と言われている岐阜県高山市が同じく9万。
長州藩の本拠地だった山口県萩市が5万5千。
世界的に有名な都市も、意外に人口20-30万クラスの場所が結構あったりする。
大切なのは、人口ではなく、その街に「物語」があるかどうか。
モノ溢れの時代。全国どこにいっても規格品のチェーン店がひしめく現代。
旅行者が求めるのは、どこに行っても代わり映えしない土産物屋やドライブインではなく、
その土地にしかないもの。もっと言うと、その土地その土地の「物語」なんじゃないかと思う。
規格品のどこにでもある観光地は、もういらないのかもしれない。
そういう意味では、室蘭にはドラマがある。
明治8年。開拓使本庁が置かれた札幌と、
経済の中心函館を結ぶ「札幌本道」の中継地として、
室蘭にトキカラモイ桟橋が設けられた。
なんで道路なのに桟橋かと言えば、
静狩峠が険しすぎて当時の技術では道路が作れなかったから。
室蘭から内浦湾を渡って対岸の森町まで船が出ていたのだ。
やがて、鉄道開通とともに、夕張を始め空知の炭鉱地帯から石炭列車がやってきた。
石炭を積み込んだ船が次から次へと出入りし、室蘭港は急速に発展した。
その石炭が日本の明治・大正の工業化を支え、近代国家建設を支えた。
戦後は日本を代表する重工業都市として。
産業のコメといわれた鉄を生み出す街として。
日本の高度経済成長を支えた。
高度経済成長期には、全道から金の卵と呼ばれた高卒の若者たちが室蘭を目指した。
それが室蘭繁栄の歴史。
その後1980年代の鉄鋼不況により、市内の工場で大規模な合理化が断行され、
室蘭から多くの人が泣く泣く出て行った。東京へ。君津へ。大分へ。
最盛期18万人を数えた人口は、1990年台には10万人前後に。
そして2005年にはついに10万人を割った。
現在の室蘭市の人口は9万人。最盛期の半分。
空知の旧産炭地が軒並み10分の1以下まで縮小している中、
まだ半分で済んでいるだけ室蘭は運がいいとは思う。
室蘭の歴史は、こういう栄枯盛衰の歴史。
日本に都市は数あれど。これだけの激動の歴史を歩んでいる街はそう多くないと思う。
この歴史を物語る遺産が、長年の不景気で放置された結果とはいえ、室蘭には残ってる。
この街には、ドラマがある。この街には、物語がある。
是非、このドラマを。この物語を。多くの人に知ってもらいたい。
室蘭に残る産業遺産を、肌で感じて欲しい。
室蘭の市民がこの歴史を知り、この街に誇りを取り戻すことができたなら、
きっと室蘭は人口は減っても、まだまだ輝いて行けると思う。
まだまだ頑張って行けると思う。
そういう街に、室蘭を生まれ変わらせたいと思う。
なんとかしたい。周囲の市町村と合併させられて、わけの分からない地名に変えられる前に。
室蘭が、室蘭でなければならない理由を、復活させたい。
繰り返しになるけど、僕は、室蘭が室蘭でなくなるのを見たくない。