皆様にご報告があります。

北海道室蘭市に住む、とある団体職員のスチャラカな日常を綴ります。
皆様にご報告があります。
タイトルだけ見ても、なんのこっちゃですよね。(^^;
実は1ヶ月ほど前にタブレットを紛失しまして。
無くても平気かなーと思いつつ、これまで過ごしてきたんですが、やはり無いと不便なので、諦めて新しくタブレットを購入することにしたんです。
今回はSIMスロットの付いたモデルを選んだので、合わせて格安SIMを導入したんですが、その辺自己メモ兼ねて記録しておきます。(^^
先日から軽いノート軽いノート騒いでるわたくしですが。
なんか致命的にいまのままじゃ支障のあることがあったよなぁ・・と思いながら、思い出せずにいましたが、先日の大阪出張で思い出したので自己メモ兼ねてブログに書いておきます。
先週末、室蘭に帰ったのですが、日曜日の午前中2時間ほど時間がとれたので、青空と日差しに誘われて実家周辺を散策してきました。
昨日は要用のために夕方、浅草橋まで行ってきました。
浅草橋です。浅草じゃないですよ。
駅に、「ここは浅草ではありません!」って注意書きがあるくらい。
たぶん、赤羽と赤羽橋くらい違います。
用が済んだ後、浅草橋駅まで戻って来たところで、ふと、古巣のあった亀戸界隈を見てみたくなり、JR総武線の千葉行きに乗りました。
この黄色い電車に乗るのは何年ぶりでしょう?
しかも、ホームドア導入のあおりですっかり絶滅危惧種になってしまった6ドア車です。この車両、座席が少ない分、室内の立つスペースが多い上に、ドアが多いから乗り降りしやすく、僕はあえて6ドア車に乗るようにしていたくらいでした。
そんな6ドア車も、京浜東北線から消え、山手線から消え、埼京線からも消え。
寂しい限りですね。
そうして浅草橋から3駅先で降りた場所が、古巣の亀戸です。
僕が東京に来たのは2006年ですが、その時に住んだのがここ亀戸でした。
その後2011年に今の北千束に移りましたので、4年ほど住んでいた計算ですね。
あの震災の時も、住んでいたのはここ亀戸でした。
亀戸のある江東区は、いわゆる海抜0メートル地帯で、標高がマイナスです。
つまり、堤防が決壊したり、津波が来たら水浸しになるということです。
引っ越しの直接の理由は、楽器を弾ける家に移ることでしたが、家を選ぶ上で、高台であることというのは少なからず重視していた要素といえますね。
駅前にはこんなモニュメントもあります。
現在の荒川の水位がLEDで表示され、目盛り部分には過去の水害の水位が刻まれています。そんな水害と背中合わせのまち、それがこの亀戸というまちですね。
駅を出て北にまっすぐ進むと、広い道路と賑やかな商店街が続きます。
住んでいた当時からあるお店もたくさんありますが、一方で無くなったお店・新しくできたお店もたくさんありました。
とくに驚いたのがコンビニが増えてたこと。
僕がいた当時、ファミマが2件、コミュニティ・ストアが1件だったんですが、ファミマが3件、セブンが2件に増えてました。しかも全て500メートルほどの距離の間にですよ? ちょっとやりすぎ・・とげんなりしてしまいました。
僕が住んでいた頃よく利用していた「ローソンストア100」のすぐとなりには、可哀想にイオン系列のミニスーパー「まいばすけっと」が出来てました。
まさに仁義なき戦いという感じですね。。
僕が以前住んでいたのはそんな通りの一角。
今住んでる場所から見たら、ずいぶん都会だなーって思いますね。
ここに住んでた頃、よく散策していた場所があるので、そこを訪れてみることにしました。
一箇所目はここ。亀戸香取神社です。
この神社、創建が665年だそうで。
ひえぇーー!? 1300年以上前からここにあるの!? と上京したての僕はぶったまげたのを覚えてます。何気ない近所の神社ですら、ものすごい歴史が眠ってる。東京というのはすごいまちです。
手水舎で手と口を清めた後に参拝。つつがなく元気に暮らしている旨を報告してお礼申し上げました。
そして次に向かったのが、香取神社から西にしばらく行ったところ。
藤の名所としても有名な亀戸天神社です。
天神様といえば、菅原道真公ですね。学問の神様です。
ここもちゃんと手水舎で清めてから参拝。つつがなく元気に暮らしていることを報告し、お礼申し上げました。
ここではもう一箇所。
実はここの天神様、境内の池のほとりに弁天社が祀られています。
弁天様といえば芸事の神様。
そして不思議な御縁で、今僕が住んでいる近くにある洗足池にも、大きな弁天社があります。4年前、楽器を弾ける場所に住みたいという僕の願いを聞き届けてくれたのは、もしかしたらこの弁天様ではないかな、と感じているのです。
この弁天様にも深く感謝申し上げて、亀戸天神社を後にしました。
そのまま西に向かい、錦糸町の駅に向かいます。
途中にある横十間川からは、スカイツリーがよく見えます。
あの塔も、僕がここに住んでた頃は工事中でした。
まちも、ひとも、少しずつ変わっていくなぁ・・・と思いつつ、散策を終えて、錦糸町から帰途につきました。
先週の月曜日、父からメールが入りました。
新篠津の従兄が亡くなったとのこと。
「昨日病院で顔見てきたんだけど、ダメだったみたい。」
この歳になると、母や祖父や身近な親戚など、多くの人の死に出会ってきましたけど。
この従兄の死というのが、思いの外重かったので、どこに書こうか迷いましたけど、ここに書いておきたいと思います。
従兄です。伯母の息子です。
同じ祖父母に連なる孫同士です。
ある意味、同じ世代の人です。年齢は5歳くらい上ですけどね。
同じ世代の身内を亡くしたのは、初めてです。
今年の春先に、ガンが見つかり、闘病してました。
農家の息子ですから、体つきもたくましく、体力もある。
お盆に会った時には、抗ガン剤治療中だったそうですが、表向きは元気そうにしてました。
でも、見つかった時点でステージ4。末期ガンだったそうで。
手術もできない段階だったんだそうです。
そんな状態でこの数ヶ月、本当に辛かっただろうと思います。
数年前に実家である新篠津に戻り、実家を継ぐ決意をしていた従兄。
そんな大切な跡取り息子に先立たれた伯父さん伯母さんの心痛を思うと、本当に、本当に気の毒で。
若年性のガンは進行が速く、発見が遅れると致命的とは聞きます。
まさか、自分の従兄がそうなるとは夢にも思いませんでしたけど。
久しぶりに、「生きるってなんだろう」「自分は何のために生きてるんだろう」
そんなことを考えるきっかけになりました。
僕とて明日死なないとも限らない。そうなったとして悔いの無い人生を送ってるだろうか。
生きるってことだけは、当然ながら遺された僕達にしか出来ないことなので。
あまりに早くこの世を去った従兄の分も、悔いのないように生きたいものです。
ちょっと遅くなりましたが、室蘭観光レポートをもう一つ。
7/5(土)に、けんけん会のまち歩きに参加したのは先週レポートしたとおりですが、実はこの日、もう一つツアーに参加して来ました。
まち歩き終了後、すっかり晴れていい天気になった空を見上げた僕に、ある考えが閃きました。この天気なら、夜景観光バスも行けるかも! と。
幸い、夜景観光バスの申し込みは、旧室蘭駅内の室蘭観光協会で出来たので、まち歩き終了後に申し込んで、19時ちょっと前に再び旧室蘭駅へ。
受付は観光協会窓口にて。代金の1000円を支払って、バスを待ちます。そしてほぼ定刻通りにバス到着!
ショボい路線バスを想像してたんですが、大型のバスが登場してびっくり。
しかも東室蘭駅から大量のお客さんが乗ってきてて、さらにびっくり。
旧室蘭駅からは10人が乗車し、ほぼ満員の状態で旧室蘭駅を出発。
バスは一路、第一のスポット道の駅「みたら」へ向かいます。
聞こえてくる会話を聞いてると、意外に札幌方面から来ている人や、市内から来ている人など、色々の様子でした。
ガイドさんの説明も、小学校の郷土の授業で習うような内容でしたが、「知らなかった」「そうだったんだ」という声が聞こえていたのが印象的でした。
そうこうしているうちにみたら室蘭へ到着。ここでは20分間滞在。
おそらく日没待ちの意味合いもあるんでしょうね。
みたらの売店もちゃんと営業してて、乗客が思い思いにいろいろなものを買い求めてましたよ。そして、外はちょうど日没直後の夕焼け空。
雲の位置がちょっと残念ですが、オレンジ色の光が水面に反射してとてもきれいでした。大黒島がちょうどいいアクセントになりますね。(^^
19:30にバスはみたらを出発。来た道をちょっとだけ戻って、祝津公園に登っていきます。この狭いクネクネした道をよく大型バスが通るもんだと感心していると、小高い丘の頂上にある展望台へ。
ここが室蘭で3カ所目の夜景遺産に認定された「祝津公園展望台」です。ここで20分ほど滞在しました。
空はまだ薄明るいですが、白鳥大橋のライトアップも点灯しており、対岸のJX日鉱日石の工場もぼちぼち保安灯が点き始めてました。
さすが夜景遺産。周囲からは感嘆の声が上がってました。「白鳥大橋マジきれいだよねー。」という声も聞こえます。
白鳥大橋の白い光=メインケーブルと主塔の明かりは、祝津の風力発電所で発電した電力が使用されており、室蘭市の管轄。オレンジの光=道路の明かりは国道ですので国=北海道開発局の管轄だそうで。エコな電力で照らされているからこその、この美しさというのがなんとなく納得できますよね。
20分ほどの滞在時間もあっという間に過ぎ、バスは白鳥大橋を渡ります。
3つ目のビューポイントは、このツアー最大の目玉。なんせ、普段一般車は入れない場所です。白鳥大橋の北側にある、陣屋除雪ステーションにバスは停車します。
見れば、開発局の道路パトロールの車が待機してくれています。
ここからはJX日鉱日石の工場群が一望のもとに見渡せるのです。
ただ、この日僕は三脚を持って行ってなかったため、この暗さでは撮影に苦労します。。何十枚も撮った写真の中で、どうにかお見せできそうな写真はわずか・・。
対岸から見えていた煙突の炎=フレアスタックもよく見えます。この炎こそ、この工場が改装工事と、大規模消火点検工事を経て息を吹き返した証ではないでしょうか。
振り返れば、白鳥大橋が間近に見えます。雲が出てきたのか、主塔を照らす光が雲に反射して不思議な光景になっていますね。
このあたりまで来ると、高台でしかも海の近くということもあり、7月にも関わらず寒さを感じ始めます。他の乗客も同じようで、早々にバスに引き返す人が多数。
予定より若干早く発車したバスが次に向かったのは、崎守埠頭です。大型の豪華客船が来た時に接岸するこの埠頭は、普段はコンテナ埠頭・チップ埠頭として使用されてます。
ここからは室蘭港を一望にできるうえ、JXのプラントが間近に見られるビューポイントなのです。
プラント全体像を写した写真がブレて使い物にならなかったので、アップの写真だけです。すみません。(><
ここでも足元がすぐ海ということもあり、風が強くて寒く、乗客はそそくさとバスに戻り、予定よりも早く発車。
ここからは再び白鳥大橋を渡り、旧室蘭駅へと戻ります。僕はここで降りますが、バスは東室蘭駅まで行きます。
旧室蘭駅に着いたのは21時頃。観光協会も業務終了しており、駅舎にも入れませんでした。でも、夜の旧駅舎もなかなかいい雰囲気ですよね。
明治44年から、100年以上にわたりこの街を見つめ続けてきた駅舎は、寝静まった街を静かに見守っているように感じました。この駅舎、室蘭市民みんなのお爺ちゃんみたいな存在なのかもしれません。この姿を見るだけで、ほっと心が暖かくなりますね。
このライトアップの費用は、市民が一晩いくら、という形で寄付して成り立っています。家族の記念日や親しい人への贈り物として点灯されており、1988年の初点灯以来26年に渡り、昭和天皇の崩御の時と、2012年の吹雪のよる大規模停電の時以外はずっと連続点灯を守り続けています。
まさに室蘭市民の希望の光ですよね。昨年連続点灯9000日を達成したそうなので、次は1万日を達成して欲しいです。
さて。
夜景観光ツアーは終わりましたが、個人的にもう一箇所、白鳥大橋のビューポイントに寄って帰ることにしました。この場所は立ち入っていい場所なのかわかりませんので、場所は内緒で、写真だけアップしますね。
昨年からスタートした夜景観光バスツアー、行ってみたいとずっと思ってて、ようやく夢叶っての乗車だったわけですが、普段見ることのないふるさとの新しい一面を見られて楽しかったです。
同時に、市外からの参加者が感嘆の声を上げているのを聞いて、これは観光資源としてとても有力だなぁと改めて感じたところです。
今後、みたらでの滞在時間にあわせて何かみたらで催しをするとか(ピアノや楽器のミニコンサートとかも楽しいですよね。サンセットコンサート的に。)
ツアー終了後は自由解散じゃなくて、室蘭やきとりを食べに行くオプショナルツアーを用意するとか、せめてグルメマップ的なものを渡して参加者が自力で行けるように動線を引くなどすると、うまく街にお金が落ちる仕組みになるなぁと感じました。是非、このバスツアーを軸に、室蘭観光を盛り上げて欲しいですね!
さて。まち歩きレポートの後編です。
旧丸越山口紙店を出た後は、旧札幌通りを大町方面に進み、途中幕西の坂を曲がって登ります。坂の途中には、かつて幕西で働いていた女給さんたち(という言い方をしてましたが、恐らく遊郭の公娼では・・。)が出勤前に入浴したという寿湯の前で説明。
坂の途中からは、近くの斜面に建つ朽ちかけたアパートが見えます。
これも女給さんたちが住んでいたものなのだとか。
そして坂の中腹を左に折れたとこにあるのが、街歩きマップにも掲載されている徳久邸。
釘を一本も使用してない純和風建築とか。
その後は坂を下り、プリンスホテルの裏で折れて再び幕西の坂へ。
その折れるところには昔、料亭「常盤」があった場所だそうです。
戦時中、旧市立病院からここ常盤までトンネルが掘られ、地下に治療室まで設けられていたというのは有名な話ですよね。
再び札幌通に戻ると、次に見えてくるのは旧鈴木歯科医院。
昭和初期の洋風建築ですね。工大の武田先生曰く、「室蘭の病院建築には何故か洋風建築が多い。」と指摘されてました。
次に見えてくるのは、旧白井毛糸店。これも昭和初期の洋風建築です。
かつては内装も相当凝った作りだったそうですが、改装に改装を重ねた結果、内装は失われているとのことです。
次に見えてくるのは、以前とあるブログで見て、どこにあるんだろう? と思っていたここ。旧高田合資会社第一石蔵。現在は向井質店さんの倉庫になってます。
そして次は多田薬局さんの本店倉庫。これは表通りから見えるからか、有名ですよね。ちなみに大正14年の建築。
で、多田薬局さんのところを折れて、いわゆる「裏浜通り」へ。
この通り、じっくり歩いたのは初めてなんですが、とても面白いんです。
旧室劇跡などの解説もありましたが他にも・・・
こんなのやら・・・
こんなのまで。まさに昭和の香り満載の通りなんです。
其の筋のお達しにより・・って、どの筋なんでしょうね。
少々不謹慎ですが、ゲーム「龍が如く」のような繁華街が、かつて室蘭にもあったのかと思うと、危険な香りに少々ワクワクしてしまいますね。
本局前で港大通りに出た後は、有名どころですが北海屋さんに寄り、旧室蘭駅まで戻って、この日のまち歩きは終了でした。
所要時間は2時間ほど。歩いた距離は2.5キロほどでしょうか。
ここ1年ほど、僕も個人で中央町界隈はずいぶん探検して歩きましたが、まだまだ知らない場所・知らない建物がたくさんあるなぁ、とつくづく感じたまち歩きでした。
歩いたルートはこちら。
次回、またまち歩きがあれば参加してみたいです。(^^
先週の土曜日、室蘭の市民団体「蘭歴建見会(通称けんけん会)」のまち歩きに参加して来ました。
今回は、以前よりけんけん会で取り組んでいたまち歩きマップが完成したということで、それを片手に、建築士会の方たちも参加のもと、総勢30人ほどでゾロゾロと室蘭の中央町界隈を歩いてきました。
完成したマップはこれ。なかなかいい雰囲気ですよね。フルカラー全12ページの大作です。
これをもとに、室蘭観光ツアーガイドの伏木さんのガイドのもと、旧室蘭駅を出発。
道路を渡った所で旧室蘭駅の説明。その後は小橋内方面に進み、北海道船用品さん、若林金物店さんの前をとおり、長谷川貿易ビルの前で解説。
ここで、説明は室蘭工大の武田先生にバトンタッチ。建物の建築様式や見どころについて解説がありました。
ここで道路を渡り、長谷川貿易ビルの横を通って裏手へ・・。ちょっと寄り道です。
そこに何があるかと言うと・・・。
終点!!
そう。札幌と室蘭を結ぶ国道36号線の、ここが終点です。札幌の時計台前から始まり、ここ室蘭市海岸町で終わるのです。
この後、一行は旧室蘭駅前まで戻り、日本一の坂を通って旧札幌通りへ。
日本一の坂でも解説があったのですが、写真撮り忘れました。(^^;
坂を登ったところにある創成館跡で再び説明。でもここも写真撮り忘れ。(^^;
そして視界の開けたところで、手前に見える日本製鋼所、奥に見える新日鐵住金について説明がありました。
次は室蘭八幡宮。ここでも由来について一通り説明がありました。
お次は、旧丸越山口紙店さん。レンガ造りの素敵な建物です。
ここでは、中を見学させて頂くことができました!
大正12年築の建物はとても立派で、しばし呆然。
太い柱と梁が年月を感じさせます。
奥には素敵な階段が。僕、実は階段って大好きなんです。(^^
他にもここが商家だった頃の品々が多数残されてました。
なんとか後世に伝えたいものですね。。
結構長居した後、建物を後にしたのですが、声をかけられて振り返るとレンガの壁一面にバラが咲いてました。なんでも隣家が立ち退いたあとに植えたバラがこんなに増えたんだとか。
レンガの建物にバラがよく映えますね。
長くなってきたので、ここで一旦切ります。後編をお楽しみに。
Facebookではいろいろと投稿してましたが、今年こそ! と自家製梅干しに挑戦してます。
参考にしたのはこのページです。
梅干の漬け方とポイント
http://www.geocities.jp/sinanozi_123/umenotukekarta.html
一回目買ってきた梅はこんな感じ。ちょっと青すぎですね。
なので、数日間寝かして、黄色くなってから漬け込み。
漬け込み用の容器を探しに近所のスーパーに行ったら、
ちょうど漬け頃まで熟した南高梅が処分価格で売られてたので、即買い。
なので、当初予定の倍の2キロを漬けることになりました。
上で紹介したページによると、梅干し作りの前半の山場は、
漬けてから3日間。梅酢が上がるかどうか。
梅をたっぷりの塩で漬け込み、上から重石をすると、
梅の水分が徐々に押し出されて容器を満たして行きます。
この水分が「梅酢」で、容器を満たす様子を「梅酢が上がる」と言います。
ただ、次の日で完全に上がるか自信がなかったので、重石を増やすことに。
このまま数日置きつつ、次は赤紫蘇を探します。
ただ、最近は梅干しを漬ける人も少ないのか、なかなか売ってません。
スーパー3軒回って無くて、会社近くのイトーヨーカドーで塩もみ済みの赤紫蘇を見つけ、購入。放り込んで3日経った今日の様子がこれです。
だいぶ梅干しっぽくなりましたね。
梅酢としその殺菌効果で、これなら長期保存できそうです。
このまま梅雨明けの土用干しまで漬け続けます。
—
そうそう。なんで僕が自分で梅干し漬けようと思い立ったかというと。。
売ってる梅干しが近頃、とんでもなく不味いから。
はちみつ入りの甘い梅干しなんて論外だし、
かつお入りとかも意味が分からない。入れたきゃ後からかつお節入れればいい。
普通に「しそ梅」とか「減塩梅干し」って売ってるやつは軒並み調味梅干で、
水飴やら砂糖やらアミノ酸調味料やらがどっさり入ってて、梅本来の味がしない。
酸っぱい梅干しが敬遠されてるから甘くすれば売れるだろうっていう魂胆だろうけど、浅はかじゃないかなぁ、とつくづく思う。
ちなみに僕は普段、会社にお昼食べる「おにぎり」を作って行くんだけど、
2個持っていくうちの1個は必ず梅干と決めてます。
なので、美味しい梅干があるか無いかは結構死活問題だったりする。
去年は和歌山の方からわざわざ取り寄せた梅干使ってたけど、
これが結構高いので、今年こそは自作しよう! っていうのが動機でした。
目指すは「しょっぱい」ではなく、「すっぱい」梅干。
はてさて上手くいくやらどうやら。今後の展開に乞うご期待です。