先日、このブログにも書いた、今月末で退職する係長の最終出社日が来てしまいました。
僕も社会人9年目。身近な人を送り出す経験は、何度かしてます。
だけど、直属の上司がいなくなるって体験は、考えてみれば始めてでした。
それでも実感が湧かず、寂しいって気持ちもなかなか出てこないのは、
きっと僕が冷たい人間だからですね。時々、そんな自分がたまらなく嫌になります。
きっと、どこかで、
出会った時から別れる準備を心の中でしてるのでしょう。僕という人間は。
お別れの時が来た時に、自分が悲しまなくていい距離を無意識に保ってるんだと思う。
だから、いつお別れが来ても、自然と受け入れられる。そうでないと、説明がつかない。
一期一会が世の常とは言え、その情の薄さが自分のことながら怖いですね。
きっと、人として大きな欠陥を抱えた存在。それが僕なんだと思います。
それでも、それが僕である以上、僕は自分から逃げることはできません。悲しいことですが。
そして、みんな知ってる。僕がそんな欠陥を抱えた人間であることを。
だから ・・・・。
こんな話はやめよう。
休みが明けたら、僕は今までより少しだけ、多くの責任を背負って仕事をしなきゃいけない。
とは言え、上は僕をその係長の代わりにしようとは考えてないらしい。
その覚悟はしてたんだけど、上は僕にその能力は無いと評価したらしい。
だから、分不相応な責任を背負って仕事をするのは、4月までの期間限定。
一介のどこにでもいる主任に過ぎない僕は、期間限定の代役、と。
4月にはまた、ぼちぼちと異動の話も出てくるだろう。
きっと僕は、それくらいに今の部署にとってはどうでもいい、ただ数合わせにいるだけの存在。
僕でなくてもいい存在。
そうならないように、いろいろとスキルアップしたり、資格取ったりと
頑張ってきたつもりだけど、足りなかったみたい。それはそれで、受け入れるしかない。
そして、今の会社を飛び出したところで、
僕だから、僕を必要としてくれる会社は社会のどこにも存在しないだろう。
いや、存在しない。断言する。それは身をもって確認したから。
なんだかもう、どうでもいい。そんな諦観に身を委ねてみるのも、いいかもしれない。
あははは。
なんのことはない。僕は誰かに、僕が必要だと言われただけなのかもしれない。
・・・みっともない。誰からも必要とされないように、
無意識に距離を置いて接してるのも他ならぬ僕なのに。
社会人として、ビジネスの世界で生きていくのは、そろそろ限界かもな。