ゴールデンウィークも終わりましたね。
コロナの行動制限が解除された今回の大型連休、久しぶりに旅をしたという人も多かったのではないかと思います。
観光の仕事に携わって6年。この春担当から外れたんですが、その間に感じたことを書いてみたいと思います。
北海道室蘭市に住む、とある団体職員のスチャラカな日常を綴ります。
ゴールデンウィークも終わりましたね。
コロナの行動制限が解除された今回の大型連休、久しぶりに旅をしたという人も多かったのではないかと思います。
観光の仕事に携わって6年。この春担当から外れたんですが、その間に感じたことを書いてみたいと思います。
旅日記第3部、いきまーす。(^^
留萌で迎えた3日目の朝。この日は、もともとはまっすぐ来た道を戻る予定でしたが・・
1日目の出発直前、何気なく地図を見てて気付いたんです。
(C) OpenStreetMap contributors
函館線滝川駅から、川を渡ったらすぐに新十津川町の市街地。そこに札沼線(学園都市線)の新十津川駅があります。その距離、直線距離だと2.4キロほど。滝川から路線バスでも出てそうな距離感です。
で、調べてみたら・・ ありました。滝川駅前から新十津川役場まで行くバスが。
それも一時間に1本! これなら行ける! と旅程ごりごり調整して、急遽帰りは札沼線を回ることにしました。
こうやって自由に旅程組み替えられるのも一人旅の良い所ですよね!(^^
ちなみに地方都市のバスで1時間に1本は、かなり多い方です。僕は1時間くらいの待ち時間は苦にならない性格です。(笑)
というわけで、3日目、元気にスタートです。(^^
旅日記、2つ目行きまーす。
第一回はこちらをご覧下さいね♪
北海道ローカル線の旅(1)
深川駅を出た列車は山を越え、下ると留萌川に沿って日本海を目指します。
行きの沿線風景は残念ながら写真は撮ってないです。だって、大混雑だったので。。
で、12時4分に留萌駅到着。ここで10分ほど停車です。
もしかしたら、留萌で少し客が減るんじゃないかなぁ? と淡い期待を抱いてたんですが、あっさり打ち砕かれました。人が来るわ来るわ。
どうやらバスとか車で留萌まで来てる人もいるみたいですね。
そ・・・そんなの邪道だー。(笑)
で、さらに超満員になった列車は留萌を出て日本海側の海岸線を南下します。
「阿分(あふん)」「信砂(のぶしゃ)」「舎熊(しゃぐま)」などなど、日本語とは思えない駅が続きます。
車窓の風景も、眼下を通る国道の他にはちらほらと人家が見えたりする程度。
なんとも、物悲しい風景が続きます。
道東の釧路以東や、道北の稚内方面に近い風景ですね。「最果て感」が半端じゃないです。距離的・緯度的にはまだまだ道央に近いはずなのに・・。
12時44分に終着駅・増毛駅に無事到着。
到着と同時に、大部分の乗客が後ろ側のドアに向かいます。この列車は前乗りワンマン。つまり留萌方面に戻るのには、こちら側から乗り直さなきゃいけません。
せっかく増毛まで来たのに、まちに出ないでそのまま折り返すなんてもったいない・・と思いますが、まぁ旅の目的も楽しみ方も人それぞれですよね。(^^
線路がここで途切れている。
ちょっとひん曲がったレール、ちゃんとした木の不揃いな枕木。その先のエンドマーク。
まさに終着駅の雰囲気満点ですね。
2013年7月に江差線を全線制覇しているんですが、その時に行った江差駅と較べても、さらにもう一段階「最果て感」の強い終着駅です。
こんな雰囲気の駅が無くなってしまうなんて悲しいかぎりです。。
きっぷ売場の跡でしょうか。「そば処増毛駅、閉店しました」と書かれてるので、ここにそば屋さんがあったのかもしれませんね。
旧富田屋旅館というそうで、今は営業してないとか。こんな立派な旅館があるまち。素敵です。最盛期には夜ともなれば、この2階・3階の窓から明かりと人々の声がもれてたのでしょうかね。
そして駅前通りに出ると、この街並みです。
もうね。ズルいと言いたくなります。こんな歴史的で素敵な街並みが残ってるなんて。
ちなみに右側の「増毛館」は昭和7年建築の旅館だそうで、今も旅館として営業しているとか。なんでも今のご主人が買い取って、自分たちで直して営業しているのだとか。素敵ですよね!
左奥は国指定の重要文化財、「旧商家丸一本間家」です。
思いがけない街並みとの出会いに胸は高鳴りますが、お腹も減ったのでまずは腹ごしらえ。増毛館の右隣にある市場の中に、「海栄」というラーメン屋さんがあったので、そこで「野菜塩ラーメン」を注文しました。
一口目。「むむむ?」
二口目。「むむむむむ?」
スープをすする。「あちちっ!(>_<)」
えっとですね。一口目にはあまり美味しく感じなかったんです。でも、どこか懐かしい味。。
食べてるうちに気づきました。たぶん、僕の味覚が都会の濃い味に慣らされてバカになってるんだと。
この優しい味のラーメンは、ちゃんと野菜の味もしてるし、ダシも効いてるし、塩気もしてる。
昔ながらの、丁寧に作られた塩ラーメンだったんです。
たぶん、化学調味料のどっさり入った既成品のスープは使ってない。
野菜とかを飴色になるまで丁寧に炒めて、そこに丁寧にとったダシを入れて作ったスープ。
その証拠に、このスープは熱々です。炒め野菜の熱ですね、きっと。
都会のラーメン屋では、まずここまで熱々のスープにお目にかかりません。
そんなラーメンに、失礼ながらちょっとだけ胡椒を振って、美味しく頂きました。
食べ終わって、会計を済ますと、早速街並み散策開始です。
駅にロッカーとかあれば、荷物を預けたかったんだけど、残念ながらロッカーは見つけられず。そういう文化が無いのかもなぁ。
で、気になっていた「旧商家丸一本間家」を見学することに。
ここは内部を撮影して良いかわからなかったので、外観の写真のみを撮ってます。
ここはかつて増毛随一の豪商と言われた丸一本間家の本店だったところです。もともとは小樽の商家に勤めていた創業者が、外商を任されていた増毛に根付き、独立開業したものだそうです。当初は呉服を中心に雑貨なども扱っていたそうです。
この創業者、創業間もない頃、隣家の火事が延焼して家財を失ったことがあったそうで、その反省から蔵はもちろん、店舗まで石蔵・土蔵作りで作り、高い塀で敷地を囲っていたのだそうです。この外観からもかなり重厚な印象を受けますよね。
増毛の海は当時、鰊漁で空前の賑わいでした。
今でこそ市制を取る留萌のほうが大きなまちですが、もともと歴史的には増毛の方が古く、増毛こそがこの地域の中心地であった時代が長く続きました。
また、南部の江差や積丹半島あたりは昭和初期にはもう鰊が来なくなってましたが、ここ増毛には昭和20年代まで鰊が来ていたそうです。ごくごく最近のことですよね。
もともとはそういった網元や船主相手に高価な呉服や雑貨を商っていた本間家は、商売が軌道に乗ると、自家も船主となって鰊漁に進出。それに関連して海運業や林業、農業、畜産業などにも手を広げ、ついには道内有数の豪商と呼ばれるようになりました。今でいうところの、総合商社ですね。
ちなみに「最北の酒蔵」として有名な國稀酒造は、この丸一本間の醸造部が母体となっており、会社名も2001年までは「丸一本間合名会社」でした。
内部は蔵造りの店舗部分と、純和風建築の住居部分を組み合わされ複数の建物を土間が繋ぐ独特の構造になってました。土間に屋根と壁が付けられているのは寒冷地ならではの工夫かもしれませんね。
この建物にも丸一の屋号がありますので、おそらく本間家の持ち物なのでしょうね。かつては倉庫として利用されたのでしょうか。
ここには、本物の「鰊船」が展示されてました。これは鰊が来なくなった後も漁家で保存されていた鰊船を復元展示したものだそうです。今となっては珍しい和船ですが、当時は鰊がエンジン音を嫌うこと、鰊を傷つけることから洋船は避けられ、鰊漁にはずっと和船が使われていたそうです。
このすぐ近くが海になってたので覗いてみました。
この海が、最盛期にはたくさんの鰊船でうめつくされていたのでしょうね。
この辺りから冷たい雨がぽつぽつと降り始めて、テンションだだ下がりに・・。
一応、帰りの汽車の時刻は15:41と17:47と19:48の3本を調べてあったのですが、15時台の汽車で帰ることに決め、最後にここに寄りました。
増毛に来たからには、ここは避けられないですよね!
はい。最北の酒蔵、「国稀」醸造元の國稀酒造です。
ここも内部撮影NGでしたので外観のみです。
でも、内部はかなりおおらかな感じで。普通酒蔵の見学って、決められたルートを整然と歩くイメージだったんですが、ここはタンクの並んでいる蔵の中を好きに歩いていいことになっていて、非常にびっくりしました。もちろん、入っちゃダメなところには「立ち入り禁止」って書いてるんですが。
ひとしきり見学して、井戸水やら試飲のお酒を飲ませてもらった後には、買い物タイム。室蘭の父と東京の自宅用に限定醸造のお酒を1本ずつ地方発送したのと、この日の晩にホテルで飲む用に普通のお酒の小さい瓶を1本、買いました。
買い物が終わって、少し時間があったので、店舗の一角で一休み。
そこにはこんなクマさんがいました。(笑)
なんだか持ってちゃいけないトートバッグ持ってる気がしますが。(笑)
そんなこんなで15:41発の汽車で増毛を後にして、留萌まで戻りました。
この日の夜は留萌で宿を取りました。
ホテル ノースアイというホテルで、外観は1Fにスナックが入ってるような、よく地方にある飲み屋ビルな感じ。なので、どんな宿だろうと内心ドキドキしましたが、至って普通のビジネスホテルでした。新しくてきれいで広くて満足。
続きの3日目の分は(3)でお届けしますね。
ようやく時間的に余裕もできたので、10月10日~12日の3連休で出かけてきた一人旅をまとめたいと思います。
今回の旅の目的は3つ。
はい。完全に鉄道旅です。
僕は別に鉄オタではないんだけど、北海道の産業史に鉄道が果たしてきた役割に対して、特別な感慨を持っています。そんな思いもあり、今回の旅を企画しました。
全体の旅程図はこんな感じです。全踏破距離は約440キロとなりました。
(C) OpenStreetMap contributors
10月10日(土) 1日目
とは言え、あまり資金も無い貧乏旅。割引の聴く飛行機を選んでいたら、出発は10日の夕方になってしまいました。1日目は道内に入って終わりです。
少し早めに羽田空港に入り、しっかりと腹ごしらえ。
空港B1Fのモノレール南改札近くに最近、「てんや」が出来たのをご存知ですか?
空港内は何を食べるにしても高いので、こうして手頃な価格で食事が出来るファストフード系のお店が出来てくれると、本当に助かります。向かいにある蕎麦屋さんともども、これからかなりお世話になりそうです。(^^
頼んだのは鶏天丼と小うどんのセット。
好きなんですよね。てんやの鶏天丼。(^^ 柚子胡椒でさっぱりと頂きました。
で、保安検査場を通って、18:50発のADO35便で飛び立ち・・・の予定が、機材到着遅れで30分遅延の案内が。(^^;
となれば、やることは決まってます。これ。(笑)
やっぱり、旅の始まりはコレがないとね!(笑)
そんなこんなで19:20頃羽田空港を離陸。20:50頃、新千歳空港に着陸。
その後はJRで千歳駅まで移動し、宿泊先はルートイン千歳駅前でした。
さすが3連休といったところか、札幌市内の宿は全然取れなかったので、近場の千歳に一泊です。ここは人工温泉の展望大浴場があって、ひさしぶりにのんびり足を伸ばして入浴しました。(^^
そんなこんなで1日目の夜は更けていきました。
10月11日(日) 2日目
夜が明けて、ここからが旅行本番! というわけでホテルで朝食です。
全国チェーンのビジネスホテルは朝食がしっかり摂れるのが嬉しいところ。
この中で、道産子な僕には嬉しいメニューがありました。それはこれ!
たぶん、北海道の郷土料理の一つに数えられるのではないでしょうか。じゃがいもを茹でて潰して、片栗粉と混ぜて練ってつくる「いももち」です。
うちの母はあまり作ってくれませんでしたが、祖母のところに遊びに行くと、よく作ってくれました。「戦争中はこんなものでも、ごちそうだったんだよ。」と言いながら。
ちなみに写真のようにバターでコンガリ焼いて砂糖醤油で甘辛く味付ける食べ方の他に、汁物に入れて「すいとん」のように食べる食べ方もあります。(^^
思いがけないふるさとの味に元気付けられて、9時過ぎにホテルを出発。一路JR千歳駅に向かいます。
駅に着いたら、まずは切符を購入。この日は増毛まで行きますので、増毛までの乗車券と、途中札幌から深川まで特急を使うので、その区間の自由席特急券を購入です。
窓口でモゴモゴしたくないので、ホテルでメモ書いて持って行ったところ、思いがけずスムーズに購入が済み、予定よりも1本早い電車に乗ることが出来ました。
この千歳駅、普段はほとんど乗り降りすることのない駅です。
え? 空港あるのになぜ? と思われるかもしれませんね。
そう。「新千歳空港駅」と、その一つ手前の乗換駅「南千歳駅」はよく降りるのですが、千歳市の代表駅のはずの、この千歳駅にはまず来ることがないのです。
それどころか、特急も大部分がここを通過。隣の南千歳駅に止まります。
そんな肩身の狭い感じの千歳駅が、なんとなく好きなのは、僕が室蘭市民だからかもしれませんね。室蘭も特急は東室蘭駅にしか止まらず、室蘭駅は寂しい感じですから。(笑)
千歳から乗ったのは小樽行きの快速エアポート。車両は今年に入って急速に淘汰が進んでいる721系電車です。
でも、なんとなく、旅情があっていいと思いませんか?
デッキと室内を隔てるこの扉とか。いかにも寒冷地の列車って感じで好きです。
混雑線区ではこれが混雑の原因だということで、最近の最新車両にはこれがありません。
千歳-札幌間は、いつもの通い慣れた鉄路。あっと言う間に札幌に到着です。
改めて考えると、千歳と札幌って30分しかかからないんですね。道内にいた頃は、千歳から札幌に通勤してる人がいると聞いて仰天したものですが、今から考えれば、通勤時間30分なら札幌市内の不便なところに住むよりはずっと快適そうです。
1本早い電車に乗れたおかげで、札幌で20分ほど乗り換え時間がありました。なので、キヨスクでお茶を調達して、のんびりホームで列車を待ちます。
ここから乗るのはL特急スーパーカムイ11号。旭川行きです。
この「L特急」という呼称、もともとは旧国鉄時代に付けられた区分で、かつては全国にL特急が走っていたそうですが、現在ではJR北海道とJR東海とJR西日本でしか走ってないんだとか。
調べてみたら現行のL特急は北海道の「すずらん」とこの「スーパーカムイ」、東海の「しなの」「ひだ」、そして西日本の「しらさぎ」の5本だけだそうで。。そんな珍しいL特急に乗れるのも列車旅の醍醐味ですね。
車両は785系電車でした。この車両は旧スーパーホワイトアロー用に作られた車両で、今はスーパーカムイとすずらんで共用されてます。
室蘭市民にとっては、すずらんの車両としておなじみ。(^^
札幌を出てすぐに車内改札があり、車掌さんに切符を見せたところ、親切に「深川では同じホームの向かい側に乗り換えですからね。」と教えて下さいました。
やはり廃線報道があってから、全国の鉄っちゃんが集結しているのかもしれません。
札幌までのJR千歳線は割と山がちなところを走るんですが、ここからの函館線は石狩平野の田園風景の中を進みます。
途中、夕張川や空知川などの大河を何本も渡っていく様は壮観ですよね。
この石狩平野の片隅でうちの父が生まれ育ったわけですが、父が子供の頃や、祖父母が若い頃、土地改良が進む前は、この田園風景は無く、石狩川の周辺はドロドロの泥炭地(湿地帯)だったと聞きます。
そんな土地をこんな乾いた肥沃な大地に生まれ変わらせた人類の叡智に驚くとともに、自然をこんなにも改変してしまって後世変な影響が出なければいいが・・とも思います。
そんな感慨を抱きつつ、札幌から1時間ほどで乗り換え駅である「深川駅」に到着。
ここからは、これから乗る留萌本線の他にも、かつて天塩の山々を越えて道北の名寄まで続いていた路線「深名線」が分岐していました。ここは交通の要衝として栄えていたんですね。
車掌さんが教えてくれた通り、列車が着いたホームの向かい側に見慣れない2両編成の列車が待ってました。これがキハ54形、僕も乗るのが初めての車両です。
この車両は最後の国鉄車両とも言えるでしょう。民営化直前の1986年にJR四国とJR北海道向けに製作された車両です。気動車にしては珍しくステンレス車体で、エンジンを2基積むなど山間地路線にも単行で運行できるメリットがあるとか。(ウィキペディアより)
道内でもここ留萌本線の他、宗谷本線、石北本線、釧網本線、根室本線の一部(花咲線)など、とくに環境の厳しい路線でしか走ってないため、道民でも乗ったことのない人が多いレア車両と言えると思います。
内装も旧国鉄車両っぽい雰囲気が随所に。しかし扇風機がいい味出してますよね。(笑)
そして3枚目の写真をご覧頂くとわかる通り・・・ 北海道のローカル路線とは思えない混み具合となっております。立ち客が出るほど。。
こんな状態で、11時8分に深川を発車。列車は一路、終点増毛に向かって走ります。
いつも乗るキハ40形やキハ150形に比べると、エンジンの音が野太く、静かな感じがします。
車窓を流れる風景は最初、石狩平野の田園風景が続きますが、次第に山間部へと進んでいきます。
長くなってきたので、ここらで一旦切りますね。
現在、一人旅を決行中です。
旅行記はあとでまとめるとして、今感じてることを書き留めておきたい。
いろんな旅の仕方があるけど。
目的地と目的地を最短経路でぴぴっと繋いで、目的地だけを見て満足して帰る。
そういう旅は僕は好きではない。
限られた日程の中ではあるけど。
公共交通機関を利用して、自分の足で歩いて。
できれば「歩く速度」で行った先を見て、聞いて、感じて回りたい。
いつからこんな風に感じるようになったんだろう、と考えてみると、たぶん自分の生まれ故郷の室蘭市を、車に頼らず自分の足で歩き回るようになってからだと思う。
生まれ育ったまちだから、隅々まで知ってるつもりだった。
だけど、自分の足で歩いて見たら、今まで見落としていたものが山ほど出て来た。
今まで、車で目的地から目的地までをショートカットしてきた、その弊害。
そして、自分の足で歩くことで、歴史を感じることができることを知った。
考えれば、人が車で走り回るようになってたかだか数十年。
その前は、数百年にわたって人は自分の足で歩いて来たんだ。
まちからまちへは汽車やバスで移動し、まちの中は歩いたんだ。
まちは、もともと人が歩いて暮らせるように設計されてるんだ。
そこに車が割り込んできたのは、それこそここ数十年の話。
そして、それがまちを壊してきた。
立派な広い道路ができて、昔ながらの街並みが壊された。
駐車場が無いからという理由で昔ながらの街並みに人が来なくなった。
話を戻す。
先人たちの歩みを辿ることを旅の楽しみにしている僕にとっては、
先人たちと同じ目線、同じ道筋をたどることがとても大切。
だから、わざわざお金のかかる鉄道を選ぶ。
だから、わざわざ時間をかけて自分の足で歩く。
だからこそ、見えてくるものがある。車のスピードだと通りすぎて見落としてしまうものと出会うことができる。それが僕の旅なんだとつくづく思う。
今回は、留萌本線を利用した。
どうしてこの線路は建設されたのか。
どうしてこの線路は今、不要なものとの烙印を押されようとしているのか。
この線路が繋いできた人々の暮らしとは何だったのか。
たぶん、それはレンタカーで高速道路を走ってきたのでは感じられないはず。
留萌本線はもともと、留萌炭田の石炭を運ぶために敷設されたらしい。
ということは、官営幌内鉄道や室蘭鉄道と同じ背景だ。
留萌港も、石炭の積み出しの為に開削されたらしい。
そういう意味では、小樽港や室蘭港と同じだ。
明日は、札沼線に乗る予定でいる。
この路線は、また違った背景で敷設された鉄道だと思う。
そこには、おそらく石狩川という、今なら簡単に橋をかけて渡れる川。
だけど、かつては越えるに越えられない川だったであろう川。
そんな石狩川の存在が背景にあると思う。
それを感じてみようと思う。