ゴールデンウィークも終わりましたね。
コロナの行動制限が解除された今回の大型連休、久しぶりに旅をしたという人も多かったのではないかと思います。
観光の仕事に携わって6年。この春担当から外れたんですが、その間に感じたことを書いてみたいと思います。
日本人の観光のスタイルは世界的に見て独特
もちろん、「観光をする」「旅をする」のは、余裕のある人たちだけがする道楽です。
世界には、まだまだ日々生きるだけで精一杯で、生まれてから死ぬまで、生まれた村とその周辺から出ることのない人の方が多いと思う。
そんな中、昔に比べたら貧しくなったとは言え、子供の頃から連休だ夏休みだ冬休みだと、帰省や旅行を楽しめる日本はまだまだ世界的に見れば裕福な国の一つだとは思います。
でも、そんな「旅行をする余裕のある民族」の中でも、日本人の観光スタイルはかなり特殊です。
海外から日本に旅行で来るような外国人は、日本人のように「2泊3日で、詰め込めるだけ詰め込んだ旅行」みたいな旅はしていないように感じます。
むしろ、そういった「時間管理」とか、「効率性」とか、「合理性」みたいなものから解放されるために旅をしている印象がある。
その意味では、旅もまた「休む」ことの延長線上にあるんだろうな、と感じます。
それは、彼らが短くてもウン週間単位、長いとひと月以上も休暇を取るからこその時間の使い方です。
別に慌てて一日にいくつも詰め込まなくても、のんびりと、疲れないように、日に1つでも新しい体験ができれば十分なのでしょう。
一方で、日本人はこういった時間の使い方ができない人がほとんどです。
まず、休暇を取れないので、旅行とは基本的に、祝日を絡めた3連休か、それに1-2日休暇を繋げて、せいぜい4日~5日が最大です。
あとは年末年始、お盆、ゴールデンウィークの大型連休ですね。これらは国民が一斉に休みを取るので、どこに言っても激込みで、コスパも悪い。
なので、どうしても2泊3日とか、長くても4泊5日くらいの旅行日程を組む。
しかも、年に1回の機会とかなので、「次いつ来れるかわからないから」と、ありったけの思いつく限りをこの日程に詰め込む。
結果、帰宅したら、次の日からの仕事に支障が出るほど疲れ果てるのです。
これはもはや休暇ではなく、ある意味「仕事以上に過酷な過労スケジュール」です。
お金も時間も体力もかかるので、それが億劫になり、腰が重くなる。年に1回とかの単位で、「えいや」と腰を据えて取り組む一大事業になってしまう。
それが悪いとは言いませんが、なんとも勿体ない観光の仕方じゃないかなぁと思うんですよね。
その日本人特有の観光スタイルを、インバウンドにそのまま当てはめても、うまく行くはずがない。そこは観光関係者として、相手の立場に立って考えるという意味で、意識したいポイントですよね。
「せっかく来たんだから、あれも、これも、それも全部提供したい」ってなりがちですけど、提供すべきは、「ここにしかない日常と、時間の流れと、その流れで体験できること」なんだと思うんです。
詰め込み型から、現地の時間の流れに合わせる旅へ
個人的には、独身なのもあって、若い頃こそ「詰め込み型の旅」をしてきた僕ですが、次第に、「これって出張と何が違うんだろう?」と思うようになり、30歳を過ぎる頃からは、基本的に無理に詰め込むことをやめました。
あれもこれもと欲張るのではなく、その時一番興味があるものに絞り込んで、それ以外は「また来たらいいや」と。そのくらいの方が、思いつきでふらっと出かけられるし、疲れも次の日に持ち越さない。
それは、ある程度経済的にも余裕が出てきた年齢になってるからできること、とも言えるかもしれませんけどね。
そうするようになって感じたのは、詰め込み型の旅行って、言い換えれば「自分の普段の生活での時間の流れ」を旅先にまで持ち込む考え方なんだってことなんですよね。
狭い日本でも、その地域その地域で時間の流れ方が違います。それは列車やバスのダイヤに反映されてたり、施設の営業時間に反映されてたりします。
それを無視して、列車やバスを待つ時間がもったいないからレンタカーを借りて、車窓から見える景色も流してしまって、ただポイントポイントの目的地を回る。これって、むしろ勿体ないと感じるようになったんです。
だったら、その地域の時間の流れにどっぷり浸かって体験する方が良いんじゃないかと感じるんですよね。それこそが非日常の体験であり、旅の楽しみなのではないかと。
だからこそ、その一瞬一瞬を大事にしたいと思いますし、そのためにも、旅にいろいろ詰め込むのをやめよう、と思うようになったんですね。
とかく、なんでも効率的に合理的にやるのが偉いみたいな風潮がありますが、そもそも人間の心や体はそこまで効率的にも合理的にもできてません。
効率性・合理性を追求するのは仕事だけで十分です。仕事から離れた休暇の時には、効率性・合理性ではなく、別の軸に身を委ねてみるのも、いいのではないかなぁと思うんですよね。
スローな旅、詰め込みすぎない旅、行った先の「時間の流れ」に身を委ねる旅。これこそがいま日本人に必要な旅の価値観ではないか? と思います。