今朝のニュースで見て、強烈な違和感を感じた話題について書き記しておきます。
OTC類似薬(市販薬と成分・効能が類似する処方薬)をめぐる保険適用見直し、とりわけ「保険適用を維持しつつ特別料金を上乗せする」という案に対して感じた強い違和感を、制度の精神という観点から、生成AIの力を借りながら整理・言語化してみた。
1. 本来あるべき精神:国民皆保険とは何を守る制度か
国民皆保険制度の根本精神は、「国民の健康は、何よりも優先して守られるべき公共的価値であり、支払い能力に左右されず、必要な医療にアクセスできるよう社会全体で支える」という点にある。
この前提のもとでは、医師が医学的に必要と判断した医療(診察・処方を含む)は、原則として保険給付の対象となるべきであり、医師の専門的判断と保険給付は強く結びついてきた。
2. 改正議論が生まれた背景:現行制度で問題視されている点
一方で現行制度には、以下のような問題が指摘されている。
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- 市販薬で代替可能な軽症についても、価格差を理由に受診し、保険を利用する行動が一定数存在すること
- 「軽症×頻回利用」が積み上がることで、外来医療費が膨張し、保険財政を圧迫していること
- 高齢化の進展により、医療費全体が構造的に増加しており、制度の持続可能性が問われていること
これらを背景に、「セルフメディケーションの推進」「保険給付範囲の重点化」が政策課題として浮上した。
3. 本来の方向性と、現在の改正案とのズレ
セルフメディケーション自体は、受診前の自己管理を支援し、不要な医療利用を減らすという意味で合理性がある。
しかし本来、その方向性は、
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- 受診前の段階で、情報提供や薬剤師相談を充実させること
- 医師が診察した結果「市販薬で十分」と判断した場合に、その旨を指導すること
といった形で実現されるべきである。
今回有力とされる「保険適用を維持しつつ、OTC類似薬に特別料金を上乗せする」案は、これとは異なる。
医師が診察し、専門的管理が必要と判断した処方であっても、薬剤がOTC類似であるという理由だけで、患者の自己負担が増える構造になるからである。
これは、医学的必要性の判断よりも、薬剤カテゴリーという外形的基準が優先されることを意味する。
4. 案の本質:理念ではなく政治的調整の産物
この特別料金案は、
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- 全面的な保険適用除外への反発を抑えたい側
- 医療費削減の「成果」を示したい側
- 短期間で合意形成を迫られる政治日程
といった要因の中で生まれた、当事者間の妥協の産物と見える。
結果として、
「保険には残すが、実質的には患者負担を増やす」
という、理念的には整合性の弱い設計になっている。
5. 最も懸念される点:制度精神の解釈変更とその連鎖
本稿で最も懸念するのは、今回の改正が単なる部分的見直しにとどまらず、
「国民の健康は財政や効率よりも優先される」
という国民皆保険の前提に、事実上の解釈変更を加えてしまう可能性である。
一度、
「医師が必要と判断しても、財政的理由で給付条件を不利にしてよい」
という前例が作られれば、
「では次はどこまで許されるのか」
という発想が、政策立案側においても生じうる。
これは、患者側だけでなく、制度設計側におけるモラルハザードである。
その帰結は、制度が形式上は維持されながらも、
「安心して医療にかかれる」という国民の信頼が少しずつ削られていく、
静かな国民皆保険制度の空洞化でありうる。
そもそも国民皆保険制度は、私たち国民全てが、どんな状況にあろうとも、
憲法が保証する「健康で文化的な生活」をできるための、最も根本的・本質的な基盤である。
その前提が揺らぐことは、
社会全体の安心と信頼を削る行為にほかならない。
こうした観点から見ると、今回の改正案は、
問題行動そのものではなく、制度全体のあり方を変質させる対応にも見える。
畑から作物を盗む人がいるからといって、
畑そのものを壊したり、作物を不味くしたりすることが、
本当に社会にとって正しい解決なのだろうか。
今回の改正案は、問題行動への対処というより、
制度全体を劣化させる方向に進んでいるように見える。
6. 結び
医療費の持続可能性を考えること自体は不可避であり、セルフメディケーションの推進も否定されるものではない。
しかし、それが国民皆保険制度の最も基本的な精神――国民の健康と安全を最優先に守るという価値――を相対化する形で進められるならば、その是非は慎重に問い直されるべきではないだろうか。
今回の議論は、「何を削るか」以前に、「この制度は何を守るために存在するのか」という根本的問いを、私たちに突きつけている気がしてならない。
