旅日記第3部、いきまーす。(^^
留萌で迎えた3日目の朝。この日は、もともとはまっすぐ来た道を戻る予定でしたが・・
1日目の出発直前、何気なく地図を見てて気付いたんです。
(C) OpenStreetMap contributors
函館線滝川駅から、川を渡ったらすぐに新十津川町の市街地。そこに札沼線(学園都市線)の新十津川駅があります。その距離、直線距離だと2.4キロほど。滝川から路線バスでも出てそうな距離感です。
で、調べてみたら・・ ありました。滝川駅前から新十津川役場まで行くバスが。
それも一時間に1本! これなら行ける! と旅程ごりごり調整して、急遽帰りは札沼線を回ることにしました。
こうやって自由に旅程組み替えられるのも一人旅の良い所ですよね!(^^
ちなみに地方都市のバスで1時間に1本は、かなり多い方です。僕は1時間くらいの待ち時間は苦にならない性格です。(笑)
というわけで、3日目、元気にスタートです。(^^
留萌市で朝を迎えた3日目、出発はもちろん留萌駅からです。2階建ての駅舎はとても立派! 2Fの一部はコミュニティFM「FMもえる」のスタジオになってるみたいですね。駅舎内でも放送が流れてました。
駅舎内は、どことなく懐かしい雰囲気。正面に改札口があって・・
改札口の左側にはきっぷ売場と料金表。
このつくり、改築前の東室蘭駅の改札付近と、とても雰囲気が似てますね。だから懐かしく感じたのかもしれません。
コンコース内には、かつて留萌本線から分岐していた私鉄「留萌鉄道」ゆかりの品物が展示されていました。
北海道内で私鉄が走っていた場所は限られます。
鉄道で運ばなければならない資源があったところで、かつ、その資源が大資本の企業によって採掘されていた場所です。
そう。ここ留萌もまた、旧産炭地なんですね。どうしても空知の方が注目されがちですが。。
そんな留萌の黄金時代に想いを馳せつつ駅の中を見物していると、改札が始まったのでホームへ。そこには前日と同じくキハ54形が待ってました。
発車まで時間があったので、かつてたくさんの路線からたくさんの列車が集っていた日々の面影が残る駅構内を散策。
そんな在りし日の面影を偲びつつ、9時31分の列車で留萌を後にしました。
車内は前日の大混雑が嘘だったかのような静けさ。乗客は10人ほどでしょうか。きっとこれが普段の留萌線の姿なのでしょうね。。
帰りは少し沿線風景が撮れたので何枚か紹介しますね。
山を越えて石狩平野に戻ってくると、やがて到着するのが石狩沼田駅。かつてここから札沼線が分岐していました。
札沼線とは、札幌とここ沼田を結ぶ路線だったのです。ですが石狩沼田-新十津川間が部分的に廃止され、札沼線は新十津川までの盲腸線となって今に至ります。
(C) OpenStreetMap contributors
この辺りは農産物を運ぶ路線としての役割もあったのでしょうね。沿線にはレンガ造りの立派な農業倉庫があちこちで見られます。
そうこうしているうちに、深川駅に到着。ここで函館線に乗り換えます。
さすがにここは幹線。特急列車なども走ってます。
でも、今回はたった3駅先の滝川駅まで移動できればいいので、特急料金払うなんて贅沢はいたしません。なのでこの列車は見送って・・・ あれ!!??
あんたかい!(笑)
見慣れた姿がやってきて拍子抜けするやら、ほっとするやら。
はい。室蘭近郊でもよく見かける、キハ40形です。函館線の各駅停車だから当然、電車が来るもんだと思ってのでびっくりしました。
後で調べてみたら、普通列車の電車運用の北限は滝川までだそうです。
内装はこんな感じです。懐かしくて落ち着きます。
学生時代、免許を取る前はよくJRを利用していたんですが、深夜バイトをしていたバイト先が隣駅だったので、終電で出勤して、始発で帰宅する・・という生活をしてました。
当時、室蘭本線の東室蘭-苫小牧間の日中は711系電車だったんですが、深夜早朝帯はキハ40形とかキハ150形だったんですよね。
なので、この汽車はとってもとっても懐かしいのです。学生時代の友人に会ったような気分。(^^
そんなキハ40に乗って3駅。滝川駅に到着。
駅舎側の1番線には富良野方面の表記が。そうです。ここが根室本線の始発駅なんですよね。根室本線の滝川-新得間は近いうちに乗ってみたい路線ですね。
駅を出ると、駅前には空き家になった大きな商業ビルが鎮座してました。駅周辺が空洞化しているのは道内主要都市どこも同じようですね。。
ちょうどお昼時ですが、駅周辺にごはん食べられる場所が無さそうだったので、駅のキヨスクに戻っておにぎりとお茶を買い、駅に隣接している中央バスの滝川ターミナルでもそもそ食べながらバスを待ちます。
で、やってきた新十津川役場前行きのバスに乗り込み、乗車5分ほど。
石狩川を渡り、住宅街を抜け、新十津川町役場の前へ。
役場の前には、大きな石碑があり、「望郷の碑」と刻まれています。
「新十津川物語」という小説、もしくはテレビドラマをご存知の形は多いと思います。
奈良県の十津川村が明治22年に大水害に見舞われた後、その被災民がここに移民して興したのがこの新十津川町です。
奇しくも十津川村は昨年も大きな水害がありましたよね。
未曾有の災害で故郷を追われ、当時未開の地だったこの土地にやってきて、ここを開拓し第二の故郷とした方たちの苦労たるや、想像を絶しますね。
だからこその、この「望郷」の気持ち。とても大きな重みを感じました。
今でこそ、川を渡る大きな橋を簡単にかけられる時代ですが、かつて石狩川は容易には渡れない大河だったのでしょう。
だからこそ、これだけ近くでも滝川と新十津川は別の町として発展した。
・・ 新十津川からは川を渡って行く滝川よりも、陸路で行ける浦臼や月形の方が結びつきが強かったのでしょう。その結びつきを示しているのが、これから乗ろうとしている札沼線だったのではないかと感じずにはいられません。
目指す札沼線新十津川駅はここから徒歩5分。
途中にはやはり、レンガ積みの立派な農業倉庫が並びます。
そんな倉庫の間を歩いていると、近くから列車のエンジン音が聞こえてきました。そう、列車のエンジン音って特殊なので、聞けばすぐに分かるんです。(^^
ほどなく、新十津川駅に到着。旧国鉄らしい、質実剛健なつくりの駅舎ですね。
ここで、思いがけずFacebook友達のMさんとお会いしました。
Mさんは室蘭市出身。今は新十津川にお住まいだそうで。僕のFB友にやけに多い、昭和56年に高校を卒業した年代の一人です。ちなみに同じ室蘭栄高校の大先輩です。
Mさんは以前からFB上で室蘭のいろいろな昔のことを教えて下さっている方で、この日も新十津川駅でなぜか室蘭ローカルトークを楽しむという不思議な出会いでした。(笑)
Mさんからたくさんのおみやげを頂いてしまって、見送って頂き新十津川を後にしました。
ここで乗った車両は、やはりキハ40形。さすがは非電化ローカル路線の主力ですね。
車窓からは豊かに実った稲穂が見えます。
実りの秋ですね。豊かな実りに恵まれるこの大地に生まれ育ったことを感謝しつつ、旅はラストスパートです。
途中、北海道医療大学駅で乗り換え。ここから電化区間です。
ここの駅は面白い構造の駅ですね。
汽車を降りると、隣のホームで札幌行きの電車が待ってたので、ささっと乗ります。始発なのでガラガラ。車両は731系電車です。(^^
しばらく気動車が続いてたので、電車の静かさ・加速の良さにちょっとびっくりしつつ、あー・・・都会に近づいてきたなぁ、という感じですね。
この駅と石狩当別駅の間の沿線、当別川のほとりに、うちの父が生まれ育った場所があります。そんな場所を感慨深く、しかしあっという間に通り過ぎて、列車は札幌市内へと入っていきます。
そして15時14分、札幌駅に到着。
ここでほぼ今回の旅は終わりです。
あとは東京に戻るために、快速エアポートで空港へ。
すると、途中車窓に驚くべき光景が・・・。
こんなくっきり、はっきりの虹を見たのは生まれて初めてだったかもしれません。旅の疲れも吹き飛びました。
こうして僕の今回の一人旅は終了しました。
北海道の産業史・開拓史に触れるとともに、地方の厳しい実情に直面した旅でした。