旅のきっかけは、先日の箏曲宮城会北海道支部の総会。
支部長から、宮城道雄先生の墓所の場所について説明があり、
近くに行く機会があれば、お参りに行くようにお話がありました。
同じ総会の席で、今年の宮城道雄顕彰事業で支部を代表して、
宮城道雄先生が事故に遭われた刈谷での法要に出席された先生のお話がありました。
その時には深く考えてなかったんだけど。
日が経つにつれて、少しだけ気持ちに変化が出てきました。
先日のブログにも書いたけど、来年以降の活動に繋がりそうなお話が出てきてます。
もちろん、全国演奏会の話が第一。
そして、来年室蘭で行われる、北海道三曲連盟の全道演奏会。
同じ門下の姉弟子からお稽古に誘ってもらう機会も出てきましたし、
それ以外にも色々。
昨年末に師匠と死別してから、僕はとりあえず1年間の喪に服すことを決め、
今年は表立った活動は控えてきました。
北海道支部の全道演奏会は、先生も出られる予定だったことから、
先生の弔い合戦のつもりで出ましたし、
秋の市民文化祭は先生への追悼演奏の位置づけです。
12月に、先生が他界されて1年になります。
来年には喪明けということで、そろそろ前を向いて歩き始めなければなりません。
一時はこれを機に辞めることも考えましたけど。
僕らは、先生が育てた最後の門人です。
いや、門人という意味では僕より年若い子供たちもいましたが、
今は皆、辞めてしまって僕らが最年少。
そして、先生が育てた門人では最後に教師の職格を頂いた者です。
先生の遺志と、演奏技術と、邦楽に対する想いと。
それらを受け継ぎ、次の世代に伝えられるのは、僕達門人だけです。
そう考えたら、辞めることはもちろん、立ち止まることすら許されないと感じました。
「この先、いつできなくなるかも分からないんだから、
できるうちはできる限り頑張りなさい。」
先生のそんな言葉に従って、これまで僕は続けてきました。
それは先生と僕との約束です。
だから。これからもできるかぎり頑張って行きます。
「こんな時、先生なら何と言うだろうか。どうするだろうか。」
常にそれを自問しながら、先生の門人として恥ずかしくないように。
来年、僕は邦楽において再起動します。
奇しくも、ちょうど僕が先生の許に入門して、来春で丸三十年。
新たな気持ちで、芸道に精進したいと思います。
長くなりましたが。
再起動するにあたり、僕らの流祖である宮城道雄先生の足跡を辿ってみたい。
そういう気持ちが強くなりました。
僕たちは箏曲宮城社の一門です。
演奏する曲は宮城道雄先生の作品です。
であれば。先生の足跡を辿ることで、きっと得られるものもあるはず。
そんな思いとともに、再起動までに以下の場所を回ることを目標にしています。
・宮城道雄記念館(東京)
・宮城道雄先生の墓所(東京)
・楽聖宮城道雄先生供養塔(刈谷)
・宮城道雄記念碑(伊勢)
・天響の門(南紀白浜)
・宮城道雄生誕の地(神戸)
・楽聖宮城道雄先生像(福山市鞆町)
何回かに分けての、ちょっとした大仕事になりそうですが。
今やらないと、これからも厳しいと思いますので、少しずつ進めて行きたいと思います。