今年の室蘭市民文化祭も無事終演いたしました。
昨年、相次いで逝去された、宮城社の先生方3名の追悼演奏ということで、
遺された門人たちが集い、夕顔を演奏して開幕。
僕も三絃で参加させて頂きました。
先生の許に届いていればいいんですが。。
この曲の他に、社中としては宮城道雄の飛鳥の夢を演奏。
こちらは僕は十七絃でした。
で、今年は初めて、舞台裏方のお手伝いをさせてもらいました。
具体的には、幕間の舞台セッティングです。
終わった曲の楽器を片付け、次の曲の楽器を指定された場所に速やかに並べる。
この幕間が長くなってしまうと、どんどん時間が押して行ってしまいます。
曲の演奏中も、舞台袖に仮置きした楽器を楽屋に戻し、
楽屋から次の楽器を運び、配置を確認し・・・と、意外に大忙し。
しかも、自分の出番は出ないといけないし。
その為には楽器の調弦もしなきゃいけない。
それでも大学生のバイトさん4名入ってたおかげで、なんとか大きな遅れも無く、
無事終演させることができたのではないかと思ってます。
改めて。去年までこの大仕事を一手に引き受けてくれていた尺八の先生方に感謝です。
尺八の先生方の平均年齢もどんどん高くなり、
演奏会の進行にも遅れが常態化してきたここ数年。
今年、一大決心して、舞台裏に足を踏み入れたことが
正解だったらいいなぁ、と思います。
もちろん、絃方でありながら、そちらに手を出すというのは、
絃方から見れば面白いことではないと思います。
でも、尺八の方からも、
「なんでいつも尺八の人ばかり大変な思いをしなきゃいけないんだ。」
なんて声まで聞こえてきてました。
絃方から、僕一人でも舞台裏に参戦することで、
少しでもこのような尺八側の不満を和らげることが出来たなら、
それこそ今年は大成功だったのではないかと思いますが、
実際はどうだったことやら。
一方で、社中の姉弟子のお許しは頂いてのお手伝いなので、
絃方から何か言われたとしても、堂々としていたいと思います。
これからも、できる限り色々とお手伝いしていきたいと思ってます。
三曲演奏会お疲れさまでした!そして舞台裏方もお疲れ様でした〜
以前から竹の先生方が裏方をされていたと聞いていましたが、糸方として参加された事は画期的な事だと想像します。自分の周りでも、自ら動いて裏方として動かれる糸方を時々見受けます。個人的には、”それ”が自然な行動だとも思っています。
近年、自分は真逆ですが裏方でありながら稀に糸方になる機会が出来ました(笑
とても不思議な経験であったと同時に両方することの大変さも感じました。
初めての演奏では自分で17絃を持っていきガタ止めをし、爪を付けて調弦チェックした時はとても緊迫した状態で今でも思い出すと笑えます!
他のジャンルの楽器はともかく、爪を付けてスタンバイする立場としては琴を並べるという行為はお願いしたいと思いました。そんな経験が今まで以上に舞台での気配りに繋がっていると思います。
ただ、フラットな意見としては、プレイヤーは出来るだけ自分でセッティングする方が納得出来るとも思っています。
いずれにせよ不協和音が軽減されるような努力をされる人が居るという事は、組織にとってとても大事な事であるのは間違いありません。今回の演奏会、本当にお疲れ様でした。
y-onuma様
なんだかお褒めのコメント頂いてしまって恐縮です~。
絃方は調弦と爪の問題があり、どうしても竹の先生に頼ってしまう部分はありますけど、
それを「当たり前」と受け取ってしまうのはやはり問題だなぁ、と今回つくづく思いました。
あと、やはり力仕事ですので、男性陣の仕事という感覚が強いようにも思いますね。
その辺りに溝があるのだとしたら、男子箏奏者の僕が適任では・・? と思い、
今年初めて行動を起こしてみました。
これからも状況が許す限り、裏方の手伝いはしていきたいですね。
あまり考えたくないことですけど、社中がこの先解散したりして
演奏の出番が無くなることがあっても、裏方のお手伝いって形で
楽器屋さんに混じって邦楽に関わり続けられればいいなぁ、などと思いながら。。
ちゃんと未来を見て、進んで行きたいと思います。