今年、僕は数え41歳の前厄になります。
1週間前の話になりますが、地元の氏神様に厄除け祈願に行ってきました。
ちなみに、厄祓いと言う人も多いですが、すでに起きてしまった厄を祓うのが厄祓い。厄が起きないように祈願するのは厄除けというらしいです。
数え24歳の本厄のときに、運が悪けりゃ死んでたかも、という自損事故をやらかして、厄除けに行った時以来ですが、やはり昇殿しての祈願は気持ちが改まりますね。
そんな中で、一つ改めて感じたことがあるので、自己メモ兼ねて、残しておきたいと思います。
ここから書くことは、僕の独自解釈なので、神道本来の教えとは違うかもしれません。そこはご了承下さいね。
人智の及ばないものから守ってくれるのが神様
人は、生きていると、自分の力ではどうにもできない出来事が何度かあるものです。天災の類はまさにそうですし、巻き込まれ事故とかもあります。思いがけないタイミングで体調を崩したり、病気になったりもします。
実は、本当はもっとたくさんの災いが人生には待ってるのかもしれない。でも、その災いのいくらかから守ってくれているのが、神様なんだと思うんですよね。
だから、僕は神社で参拝する時には、「ありがとうございます。」「いつも見守って頂いて、ありがとうございます。」としか言いません。
そして、そういった「人の力ではどうにもできないもの」が「厄」であり、それから守って頂くようにお願いするのが厄除け祈願だと思うんです。
神様が守ってくれている以上、うまく行かないのは自分の責任。
厄除け祈願に行って、「これで神様が守ってくださる。全てうまく行く」と考える人も多いのかもしれませんが、僕が今回感じたのは全く別のものでした。
自分の力ではどうにもできない災いからは、神様が守って下さる。
ということは。
それでもうまく行かないなら、それは自分の力でなんとかできるはずのものを、やってないだけ。自分の責任。
ということなのではないかと感じたのです。
やや不敬な言い方になりますが。
人生において、前へ前へと進むのは僕が自分でやらなきゃいけないこと。
じゃあ、神様は何をやってくれているのかといえば、僕の背後をそっと守ってくれている存在なんじゃないかと。
今年、年初に引いたおみくじは、厄年にも関わらず、大吉でした。
中身をよく読んだら、心を素直に、身もちを正しくすれば、何事も思うままになると書かれてました。だから欲を離れて人の為に尽くしなさい、と。
これは僕には、「背中は守ってやるから、心を素直に、思い通りにやりなさい」との神様の言葉のように思えたのです。
なので、今年の僕は、背中は神様に預けて、人のために、このまちのために、思い通りに突っ走ります。(あれ? 結局いつも通りじゃん。)