
写真は今日の夕方、自宅ベランダから撮影したものです。
さて。mixi日記に書いたら思いの外、反響があったのでこちらでもちょっと書いてみます。
失踪のJR北海道社長、遺体を確認…小樽沖
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110918-OYT1T00411.htm
12日から行方不明になっていたJR北海道の中島社長が遺体で発見されたそうです。
mixi日記のコメント見てると、多いコメントは
「何も死ぬことはなかったのに・・」
「自殺は逃げるのと同じ。ちゃんと責任を取って欲しかった」
「東電の社長も生きてるのに、なんでこの人が・・」
といったもの。
世間って身勝手で、時として残酷なモノだなぁ、とつくづく思う。
死んで詫びろ、という世間のプレッシャーを受け取って、自ら死を選んだ人に、
死んでしまってから、「何も死ななくてよかったのに」「生きてて欲しかった」とは・・
一体どういう欺瞞、どういう偽善なんでしょう。
誰も死んで詫びろとは言ってない、と言う人もいるかもしれません。
でもこれって、セクハラ、パワハラ、いじめと同じように、言った側が言ったか、ではなく、
受け取った側がどう受け取ったか、が問題です。少なくとも中島社長はそう受け取った。
例えばこれで無事ひょっこり現れたら、世間はどんな反応をしたんでしょう?
きっと、「死ねば良かったのに。」「人騒がせな」と、それはそれで非難轟々だったはず。
世間って勝手で、傲慢で、そして残酷ですよね。
無事を祈ってもいなかったクセに、「無事を祈ってたのに残念」とか、
いけしゃあしゃあと言う人は、地獄に落ちればいいと思います。偽善者が。
僕はこの方の死は尊敬に値するものだと思ってます。
一種、武士の切腹に近い、侍の魂を見ています。
自殺を逃げだと断ずる人。ちょっと待ってください。
中島社長はきちんと石勝線脱線事故の事故調査を行い、
国の業務改善命令に対してもちゃんと対策を行って、
16日には報告書を提出できる段階にしています。
事故の後処理として、ある一定の目処をつけたと言っていい。
ちゃんと責任を果たしたと言っていいと思います。
これで普通の会社なら、最後の仕上げとして、
「事故の責任を取って退任」ということにしても、誰も文句は言わないはず。
でも、中島社長はそれで良しとしなかった。
おそらく法的な責任はともかく、道義的な責任がそれでは果たされないと考えられた。
だから、このような決断を下されたんだと思います。
もちろん、家族や社員が心配するのは分かってるし、
ご自分が姿を消されることで警察や海上保安庁に迷惑がかかることも知っていたでしょう。
だけど、そうせざるを得なかった。だからやるべきことをやった。
それが正しかったのか、誤っていたのかは僕にはわかりません。
だけど、僕はこの方を、同じ道産子として誇りに思います。
身命を賭して。文字通り身と命の全てを尽くして職責を全うされたこの方を心から尊敬します。
願わくは多くの人がこの方を、
「死ななくてもいいのに自殺したバカな人」と記憶するのではなく、
「身命を賭して職責を果たした人」と記憶することを願ってやみません。