先日、会社の朝礼でちょっと話した内容ですが。
かつて、インターネット上での表現っていうのは、「現実世界には影響しない」のが原則の世界でした。
ハンドルネームという偽名を名乗り、ネット上だけで完結する人間関係の中でのコミュニケーション。
もちろん、オフ会とかって現実との接点もまれにあったわけだけど、それはあくまでごくごくイレギュラーの出来事。
まして、ネットで知り合った人とのオフ会で、現実世界での人間関係が持ち込まれることは、まずありえませんでした。
個人のホームページやブログも同様。
基本的には「誰にも見られることはない」前提の表現が可能でした。
現実世界とネット上は別物。そんな前提がまかり通っていたのです。
だから、個人のホームページに掲載してる日記とかブログは何を書いても良かったし、
それによって現実世界で不利益を被ることは、まずありえませんでした。
まぁ、当時の2chとかで面倒事に巻き込まれたら、かなり危なかったですけどね。
当時の2chはガチで危ない人たちがゴロゴロしてたので。(笑)
でも最近、だれもが当たり前にネットに繋ぐようになって。
だんだんと現実世界とネットがリンクするようになって。
ネット上は自由ではなくなりました。
基本、「誰も見てない」はずだった個人の情報発信が、今では「どこかで必ず誰かが見ている」時代になってます。
僕が運営している別のブログでは、まさかと思うような人たちからコメントを頂いたり、現実世界で声をかけられたりすることも増えました。
ストレスのはけ口とばかりに、ネガティブな感情をネット上に垂れ流すことは、許されなくなってきました。
そういった、人に見られて困るものは、かつてのように人知れず、紙の日記に書かなければならない時代が来ているのかもしれません。
過去を懐かしむ訳ではないですが、昔のネットの自由さが懐かしいです。
混沌としていて。だからこそ、どこまでも自由で。
ネットに接続して、ネット世界に慣れていることが、ある意味でリテラシの高さを意味してました。
厨ニ的に言えば、選ばれた特権階級として、特権階級の仲間内ルールさえ守っていれば、何をしても許される空気があった。
当時、ネットビギナーだった僕に、先輩たちが教えてくれた言葉がありました。
「ネット上では大人も子供も、社会人も学生も関係ない。全ては自己責任の世界。何をやってもいいが、自分のやったことの責任は自分で取ること。子供だから学生だからは免罪符にならない。」
考えてみれば、僕を初めて一人前の人間と認めてくれたのは、このネットの世界の住人たちだったのかもしれません。
今では考えられないことなんでしょうね。
時々、あの頃に戻りたい、そんな不毛な願望を感じることがあります。
カオスだったけど、楽しかった。もう二度と、あんな楽しくて充実した日々は来ないんだろうな。
そう考えると、残りの人生がたまらなく、つまらない感じますが・・・。
まぁ、所詮、人生なんてそんなものと諦めましょう。惰性で生きて行きましょう。