なんて美しいまちだろう。

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今の仕事になって、間もなく3ヶ月になろうとしています。
たまぁに、外勤することがあるのですが、
その度に、室蘭ってこんなに美しかったっけ?
と新鮮な気持ちになります。

とくに感じるのが、中央町側から室蘭新道に入ってすぐのところ。
(上の写真は絵鞆岬のところですが。。)

手前の母恋富士。そこから繋がる緑の山々。
その緑色が、それはもうきれいなんです。

「山より山へと、連なる緑よ」
とは母校の校歌の一節ですが、まさにそんな感じ。

室蘭の地形は起伏に富んでるので、
本当に変化があって楽しいんですよね。
海があって、こうした山々があって。
まちがあって。大自然があって。

なんでこんなに新鮮なんだろう? と思い返してみると。
これまでは週末帰省だったので、
実家のある港北町を起点に、蘭東に行くなら37号線。
蘭西に行くなら白鳥大橋でした。
なので、ほとんど室蘭新道を走ったことがなかったんですね。

今は蘭西に職場があって、
そこを拠点に蘭西と蘭東を行き来することが多いので、
自然と室蘭新道を走る機会も多くなっています。

だから、再発見があったんだろうなぁ、と。

恐ろしいことに、18で室蘭を出るまでは、
こんな美しい室蘭の景色が「ありふれたもの」だと思ってました。

でも、こんな光景は苫小牧にも、札幌にも、帯広にも。
もちろん、東京にもありませんでした。
出張で訪れた、全国各地のどのまちにもありませんでした。

これこそ室蘭にしかないもの。
大切にしたいなぁ、と改めて思うのです。

そして、「大切にしたい」と思ったら、
実際に「大切にする」ことができるのが今の僕だという事実を、
とても幸せに感じるのです。
室蘭市民であることを、とても幸せに感じるのです。

自分の行動が、まちを変えていくことに直結する。
だからこそ、他人任せにはできません。

「このまちが、こうだったらいいのに。」と思うなら、
そうなるように、自分にできることを探して行動するのです。

誰のためでもない。自分がそうしたいから、そうするのです。

“なんて美しいまちだろう。” への1件の返信

  1. 室蘭は高度成長時代には白鳥台に団地を作り、雇用促進住宅と呼ばれるアパートもできて沢山のひとが道内外から集まりました。
    市民は鉄の恩恵にあずかり、みんなが港内を向いた生活をしていたのだと思います。
    ところが「鉄冷え」と呼ばれる不景気で「日本一不景気な街」と言われると市民の心はすっかり冷え込んで周りを見る余裕もなくなってしまったのだと思います。
    湾の中にあった陣屋海水浴場も埋めたれられて工場が建ち、本来「遊泳禁止」としているイタンキ浜に夏の一時期だけの海水浴場を作らなければならないような窮余の策を講じる。それもゴルフ場だった素晴らしい緑の丘の芝を剥がして「鉄工団地」を作った海岸で。
    どうも室蘭の環境を「良い」ものだと考える余裕が無かったのかも知れませんね。
    良いものは「天然の良港」と言われてきた湾だけだと思っていたのかも。
    「室蘭にもう工場はいらない」と言ったという市長が居ましたが、「工場が無くなったらどうなるんだろう」と考えたことが室蘭の将来を想った唯一のタイミングだったのかも知れません。
    今、観光が叫ばれ、交流が重視されてきて本当の室蘭の「良さ」を感じ始めているといったところでしょうか。
    山田さんのような方に市井の意識の高い方々が刺激されて動き出し、きっと明るい未来が開かれることと期待しています。

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