平成31年 元旦

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皆様、新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申しあげます。

毎年恒例ではありますが、今年1年取り組みたいこと3点を書いてみたいと思います。

1.減量を含めた身体のメンテナンス

1つ目は、ここ数年書き続けて進展していない「減量」を含めて、ですが、全般的な身体のメンテナンスが必要かな、というところです。

40歳近くなってくると、やはり相当あちこちガタきてるみたいで、先日の健康診断でも結構気になる指摘がありました。まぁ10年に1度のオーバーホールのタイミングだと思って、医者行くなり、春までにはしっかり対処して、来シーズンに備えたいと思います。

僕ら観光関係者は、夏場が勝負なので。

具体的には、バリウム検査に引っかかったので、まずは年明け早々に胃カメラやること。その結果に応じて適切な対応を検討して行きます。

視力検査で右1.2に対して左0.2と、不同視の症状が出ているので、これも眼科受診し、眼鏡作るなり、対処をします。
ここ数年、長時間液晶画面を見た後など、時々頭痛が出てたんですが、たぶんこれが原因ではなかろうかと。

あとは減量ですね。仕方ないので少しだけ運動を取り入れようかと。
走ったり飛んだりというのはしんどいので嫌ですが、歩くことは苦にならないので、少しずつウォーキング的なものを取り入れて行けたらと思ってます。

あともう一つ。うちの母方の家系は、脳血管系の疾患が出やすい血筋なので、30歳の時に一度脳ドック受けてますが、10年に1回ということで、そろそろまた脳ドック受けてみようかと思います。

うちの母方の叔母(大叔母)が、クモ膜下出血で死んでおり、うちの母も40歳の時にクモ膜下出血で倒れてます。うちの伯母も脳動脈瘤が見つかって手術してます。

遺伝的要因があるのかは不明ですけど、怖いので・・ね。(^^

ここでしっかりメンテしておけば、またしばらく安心なので。
しっかり取り組みたいと思います。

2.情報発信系の再始動

先日より、「てつのまち写真館」を一部再開してますが、様々な発信を再開して行きたいと思います。

来年4月には、統一地方選があります。室蘭市においても市長選と市議選があります。
直接、特定の候補を支援したりという気はないですが、室蘭という街が辿ってきた歴史と、近年室蘭が置かれている状況は整理して発信して行きたいなと。
その中で、自分たちは室蘭市民なんだ。室蘭市の今後は自分たちが行動して決めるんだ、という意識を少しでも醸成するお手伝いをしたいと考えてます。

特定の誰かを批判する意図はありませんし、自戒も込めてですが、室蘭市民は僕も含めて、やはり、「自分たちのまちをより良くして行くために、自分たち自身が行動する」という意識が足りないように思います。
現状に対する不満はあっても、やれ誰が悪い、行政が悪いと言うばかり。地域が住みにくくなって来たら、行政になんとかしろと言うだけ。
きっとこれまで、会社や行政が手取り足取り全部やってくれていたから、それが当たり前になっちゃってるんでしょうね。過保護に育てられた子供と一緒です。

でも、現状に満足できないなら、まずは自分のお金と自分の時間を使って、変えるように努力してみる。そういうのって必要じゃないでしょうか。
少子高齢化と不景気で税収が減り、福祉の費用が膨らむ一方の室蘭市は、全ての市民の要望に応えられる状況ではないのです。であれば、自分たちのまちは自分たちが作る。そういうスタンスも大切なのではないでしょうか。

100年前、室蘭のまちを作り上げてきた先人たちは、多かれ少なかれ、それをやってきたのではないでしょうか。だから今の室蘭があるのではないでしょうか。
僕たちはその「今の室蘭」にあぐらをかいて座っているだけでいいのでしょうか。100年後の室蘭のために、自分たちにできることを、自分たちの手でやっていくことが必要なのではないでしょうか。

市民にその意識が広がらない限り、いくら市長が変わろうが、市議が変わろうが、このまちは変わらないと思います。2019年。室蘭市民が、100年後の室蘭のために何ができるのかを、一人一人が考える一年になればと願いますし、そのために僕ができることを探して、行動して行きたいと思います。

3.「可動域」を広げる

昨日書いた、昨年の振り返りにも書きましたけど。
一昨年の帰蘭以来、自分の活動・行動についてかなり「安全係数」をかけてきました。それは、転職間もない上に、室蘭という場所を地盤で行動するにあたり、どこまで何をすれば、誰にどれだけ迷惑が掛かるのか、が読みきれてなかったためです。
「若気の至り」など許される年齢ではないので、しっかりとそこを見極めることは大切だと判断し、そうしてきました。
それが、外から見ると「できない理由を探して、結局やらない」姿勢に見えていた部分も多々あったかと思います。

結果、東京に居た時よりも「可動域」がかなり狭まっていたのも事実です。
できることも増えましたが、できないことはもっと増えた感じ。

ただ、間もなく帰蘭して丸2年。だいぶ勝手も分かってきましたし、それなりの信頼関係も積み重ねて来られたはず。ということで、徐々にですが、「可動域」を広げる試みをして行きたいと考えてます。

まとめ ー100年後も、室蘭が室蘭でありつづけるために。

最後になりますが、これは今年1年というより、5年10年かけて取り組んでいくビジョンです。

室蘭は果たして100年後、室蘭でありつづけることができるのでしょうか。
100年後、室蘭市は存続しているのでしょうか。

平成の大合併という行き過ぎた合理主義の結果、全国から歴史あるまちが多く姿を消しました。拓かれてから数百年、と言えるまちがいくつ残ったでしょう?
行政上の効率化が必要だったことは理解しますが、まちの名前や地名を変えることは、その土地の歴史、その土地で行きてきた人たちの記憶を踏みにじり、消し去るのと同じことです。それが全国的に行われてしまった。とても悲しいことと思います。

その中で、3年後に開港150年、市制施行100年を迎える室蘭市は、十二分に歴史あるまちとなりました。これは、明治の先人たちが、室蘭の未来を信じ、投資し、努力して作り上げてきてくれた結果です。

100年前の先人たちが夢見た未来を、僕たちは生かさせて頂いている。
次は、100年後の人々のために、今を生きる僕たちが、このまちの未来を夢見て、その実現のために努力する時と思います。

そのためには、このまちに対する誇りと愛着が必要です。
室蘭市民としてのアイデンティティをしっかりと育てる必要があります。
登別も伊達も一緒じゃん、ではダメです。室蘭でなければダメなんです。

それが無ければ、数年後また国から合併の圧力がかかった時に、抗しきれません。登別と一緒は嫌だ。伊達と一緒は嫌だ。一緒になってまちの名前を変えられるのは嫌だ。そう声を上げる市民を育てなければならない。

そういう人たちがいたら、万一無理やり合併させられても、「いや、お上が何を言おうと、ここは室蘭だから。」と言い張れるはずです。
そうならなければならない。そうでなければ、このまちを作った先人たちに申し訳が立たない。

100年後も、室蘭が室蘭であり続けられるために。
今できる一つ一つを積み重ねて行きたいと思います。

今年もお付き合いのほど、よろしくお願い申しあげます。

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