少し、落ち着こう。

具体的に、何がどうこうというわけではないけど。
ここ数ヶ月、ちょっといろんなことを性急に進めすぎたかもしれない。
失敗だったかなー、って感じることがいくつか出てきてる。

失敗は失敗として、リカバリーできるところはリカバリーしつつ、
反省すべき部分は反省しつつ。一度、通常のペースに戻すことが必要かも。

5月病じゃないけど、ちょっと気持ちが落ちて来てるのを感じるので、
適度に楽しみを見つけつつ、ペース調整して行きます。

落ち着いて行こう。うん。

室蘭を舞台にした映画

今、室蘭では映画の話題で盛り上がってます。
映画とは行っても、興行中の映画ではなくて、これから撮影される映画。
その名も「モルエラニの霧の中」。文字通り全編室蘭を舞台とした映画になる予定です。

監督は室蘭在住の坪川拓史監督。トリノ国際映画祭グランプリを始め、
数々の国際映画祭で受賞している方です。

そんな坪川監督の映画を応援しようと、市民が応援団を立ち上げ、
制作費用の資金集めを始めています。

インターネット上でも、映画に関する様々な特典を購入する形で募金できる
「クラウドファンディング」と呼ばれる形式の募金活動が始まっています。

5000円からと、非常にお手軽な金額からご協力頂けますので、
もしご興味があれば、是非ご支援をお願いいたします。

坪川拓史監督作品 いぶり映画「モルエラニの霧の中」第1話制作支援プロジェクト
https://motion-gallery.net/projects/moruerani1

またリンクやシェアなどで拡散頂けると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

僕は、室蘭が無くなるのを見たくない。

ここ2-3ヶ月ほど、ご縁があって地元室蘭市の市民活動系にいくつか関わる機会があった中で、強く感じていること。
この時代、人口が右肩上がりに増えていく状況は期待できない。まして、室蘭が半世紀後に100万都市になるかといえば、それはありえない。
でも、かといって衰退していくのを当たり前とは思いたくない。

人口が減ってもいい。室蘭らしく、室蘭気質がちゃんと引き継がれて、街として輝く存在であって欲しい。

今、多くの市民が「室蘭はもうダメだ」と思ってる。「室蘭にいいところなんて何もない。」「これからもっともっと悪くなっていく。」って。
だけど、逆説的だけど、市民のそういう後ろ向きな気持ちが、室蘭をどんどんダメにしているように思えて仕方ない。
例えば隣の伊達にしても、登別にしても、自分の街を「もうダメだ」と思ってる人は、割合としては少ないんじゃないかな、って思う。

室蘭はこのままいくと、数年後には両隣の2市と合併の道を歩んでしまうのではないかと思う。
そうなると、今の輝きのない状態の室蘭では、「室蘭」の名を残すことすらできないと思う。

僕は、室蘭が無くなるのを見たくない。

全国には、人口10万人以下でも、特色を活かして輝いてる街がたくさんある。
道内でも富良野なんかは2万5千人しかいない。
道外だと上杉鷹山の米沢藩で有名な米沢市が9万。
最近、外国人旅行客に大人気と言われている岐阜県高山市が同じく9万。
長州藩の本拠地だった山口県萩市が5万5千。

世界的に有名な都市も、意外に人口20-30万クラスの場所が結構あったりする。

大切なのは、人口ではなく、その街に「物語」があるかどうか。

モノ溢れの時代。全国どこにいっても規格品のチェーン店がひしめく現代。
旅行者が求めるのは、どこに行っても代わり映えしない土産物屋やドライブインではなく、
その土地にしかないもの。もっと言うと、その土地その土地の「物語」なんじゃないかと思う。

規格品のどこにでもある観光地は、もういらないのかもしれない。

そういう意味では、室蘭にはドラマがある。

明治8年。開拓使本庁が置かれた札幌と、
経済の中心函館を結ぶ「札幌本道」の中継地として、
室蘭にトキカラモイ桟橋が設けられた。

なんで道路なのに桟橋かと言えば、
静狩峠が険しすぎて当時の技術では道路が作れなかったから。
室蘭から内浦湾を渡って対岸の森町まで船が出ていたのだ。

やがて、鉄道開通とともに、夕張を始め空知の炭鉱地帯から石炭列車がやってきた。
石炭を積み込んだ船が次から次へと出入りし、室蘭港は急速に発展した。
その石炭が日本の明治・大正の工業化を支え、近代国家建設を支えた。

戦後は日本を代表する重工業都市として。
産業のコメといわれた鉄を生み出す街として。
日本の高度経済成長を支えた。

高度経済成長期には、全道から金の卵と呼ばれた高卒の若者たちが室蘭を目指した。

それが室蘭繁栄の歴史。

その後1980年代の鉄鋼不況により、市内の工場で大規模な合理化が断行され、
室蘭から多くの人が泣く泣く出て行った。東京へ。君津へ。大分へ。

最盛期18万人を数えた人口は、1990年台には10万人前後に。
そして2005年にはついに10万人を割った。

現在の室蘭市の人口は9万人。最盛期の半分。

空知の旧産炭地が軒並み10分の1以下まで縮小している中、
まだ半分で済んでいるだけ室蘭は運がいいとは思う。

室蘭の歴史は、こういう栄枯盛衰の歴史。

日本に都市は数あれど。これだけの激動の歴史を歩んでいる街はそう多くないと思う。
この歴史を物語る遺産が、長年の不景気で放置された結果とはいえ、室蘭には残ってる。
この街には、ドラマがある。この街には、物語がある。

是非、このドラマを。この物語を。多くの人に知ってもらいたい。
室蘭に残る産業遺産を、肌で感じて欲しい。

室蘭の市民がこの歴史を知り、この街に誇りを取り戻すことができたなら、
きっと室蘭は人口は減っても、まだまだ輝いて行けると思う。
まだまだ頑張って行けると思う。

そういう街に、室蘭を生まれ変わらせたいと思う。
なんとかしたい。周囲の市町村と合併させられて、わけの分からない地名に変えられる前に。
室蘭が、室蘭でなければならない理由を、復活させたい。

繰り返しになるけど、僕は、室蘭が室蘭でなくなるのを見たくない。

日韓関係について歴史から考えてみる

僕は韓国が嫌いです。Facebookで何度も言っているように。
ですが、今日のこの記事は、できるだけイーブンな立場で書いてみようと思う。

日韓関係における、お互いに相手の国に対する意識って、たぶんかなり違うんだろうなぁ、と。
今の外交問題を報じるニュースでそんなのが出てくることは無いけど、たぶん両国民の意識の根底にそれって脈々と受け継がれていると思うので、それをまとめてみたいと。

日韓、もっと言うと日中韓の互いに対する意識は、主に明治以前のアジア情勢から来ている。
中華帝国という地域唯一の超大国があって、その体制に組み込まれた韓国があり、その体制に取り込まれたことのない日本という国がある。それをどう受け取っているかってこと。

<日本から見た中国・韓国>
まず馴染みやすい日本の意識から。
日本人は、聖徳太子の国書以降、中国とは「対等だった」と思ってる。
だって、日本は開闢以来、一度たりとも中国に統治されたことはない。
その対等な「中国」の属国だった朝鮮は、格下と思ってる。
というか、むしろ独立国として認識してない時期が長かったと思われる。

もっとも。遣隋使・遣唐使や平清盛の日宋貿易、源義満の日明貿易は中華帝国側としては朝貢と受け取っていた節があるので、本当に対等だったかは微妙。
だけど、明治以降の学校教育では、一応日本はずっと独立国だったことになっている。

<韓国から見た中国と日本>
次に、意外と日本から理解されてない韓国の意識。
韓国から見れば、中華帝国は誰も並び立つことのない超大国。
中華帝国に並び立つ国なんて存在しない。
その前提で、中国を中心とした国際秩序における、一番の文明国は自国と自負している。
輝かしい中華文明の一部であることにアイデンティティがあると言ってもいい。
そんな文明国、朝鮮から見て日本は東夷の国。倭の国。要は文明化されたことのない野蛮人の国と見ている。つまり、朝鮮は日本を自分たちより格下と見ている。

<歴史認識から来るすれ違い>
日本は韓国を、「戦後ようやく独立した国」としか思ってない。
でも韓国からしたら今でも日本は非文明国であり、歴史上は格下の国と見ている。
そんな格下の非文明国が奇跡の経済成長を遂げ、自分たちより世界から評価されているのが面白くなくて仕方ない。もともと朝鮮民族は非常に感情の豊かな民族なので、日本人なりに血の滲むような努力をして・・という理屈は通用せず、ただただ悔しい。妬ましい。
だから、日本の国力が落ちてきて、逆に韓国の国力が上がり、両者が近くなってきたら、韓国は、「韓国>日本という、本来あるべき力関係に戻る時が来た」と頑張ってしまうのだろう。それだけならまだしも、「この200年の恨みを晴らす」と感情が燃え上がってしまう。

韓国「本来は韓国>日本のはずだ」
日本「は? 日本=韓国、対等でしょ?(内心では日本が上と思ってるけど言わない)」
中国「どっちも、もともとは俺の子分。」

これが東アジア3カ国のすれ違いの元凶だと思う。近代外交なので決して表には出てこないけど。これまでの日本政府は、ここを読み違えて外交的に失敗を繰り返してきたと思う。
まして、朝鮮民族は感情が激しいことが世界的に有名。理屈なんて通用するもんじゃない。
日本が「大人の対応」と称してエラソーに無視を決め込んで、世界から評価されてるのすら悔しくて仕方ない。

この感情的なすれ違い。まぁ数百年続いてきたものなので、今正すのは無理だろうなぁ、と思う。となれば、お互いできるだけ近づかないのが平和の第一歩ではないかな、と思う今日このごろ。

ようやく快方・・かな。

先週の土曜日から体調を崩して、先週一週間なかなかしんどい日々を過ごしてました。
極めつけは木・金の大阪出張。風邪引いて喉痛いというのに、
喉を酷使するセミナー講師のお仕事。(>_<)
しかも木・金と同じ内容3時間半しゃべりっぱなしのやつを2連チャン。死ぬかと思いました。(^^;

それでもなんとか御役目をこなして帰京し、
この土日はおうちで静かに静養してました。

その甲斐あってか、今現在は若干咳が出るものの、かなり元気になりました。

今週あたりから、来年度に向けて動きがいろいろ出てくると思うので、
心折れることも多いですけど、あらゆる選択肢を検討しつつ、最善の選択肢を選べるように
せめてつまらん体調不良はさっさと片付けておきたいものです。

当たってる・・・(^^;

僕が割と拠り所にしているものに、毎年の年末に神社から頂いてくる「神社暦」があります。
ご神慮が現れているのか、割と身の回りに起きることに合致していることが多く、
自らの行動を決める時などに参考にしています。

今般、仕事上でちょっと大きな発表が会社からあったのですが、
それについても示唆する文章があり、年明けから心構えはしていたので、
それほど大きな衝撃は受けずに済みました。

Photo

そのものズバリ書かれてますね。(笑)

後ろ向きになるのはNG。新たなチャンスとして次の目標へ踏み出す結果といたしましょう。

ちなみにこれは1年間の総論部分ですが、では2月のところには・・・

Photo_2

方針や環境を変えようとするのは時期尚早とのこと。
まるで心の中を読まれているようでドキッとします。(^^;

確かに現段階では、詳細は全く分かってないので、
何も分からないまま行動を起こすのは拙速と言えましょう。

「内部の崩れ」という暗示が出てるのが気になります。
どこの内部でしょう。まぁ、全てに気を配ってしかるべきでしょうね。

職場では急な発表で僕ですら動揺しました。
若い子たちはさらに動揺しているでしょう。
中堅社員として、職場では不安軽減に努める責任があるでしょうね。

他に邦楽関係、室蘭のFBコミュニティ関係も早急に状況確認し、
綻びがあれば早急に対応を考えたいです。

僕の考える非常時のリーダーの鉄則。

僕の考える非常時のリーダーの鉄則。

・リーダーは、進撃するにあっては先頭に立つべき。
・リーダーは、退却するにあっては殿(しんがり)をつとめ後方を守るべき。
・リーダーは、常に最も危険な場所に身を置き部下を守るべき。
・リーダーは、部下の安全に対し責任を負い、自分よりも優先するべき。
・リーダー不在の時には、その場の最上位者が指揮を取るべき。

これが出来て、初めてリーダーだと思う。最後のはちょっと違うけど。

僕はリーダーではないけど、その場の最上位者になるケースは存在する。
なので、常に肝に銘じて行動したいと改めて感じました。

聖地巡礼の旅(3) 刈谷編

久しぶりになりますが、聖地巡礼に出かけました。

聖地巡礼シリーズの過去投稿はこちらから。
聖地巡礼の旅への決意
聖地巡礼の旅(1) 東京編
聖地巡礼の旅(2) 神戸編

今朝起きたら、昨日までの雪が嘘だったかのような快晴。
そして、めずらしく何も予定のない一日。

なので、今日は以前から行きたいと思いながら行きそびれてた、聖地巡礼を決行することに。

残った聖地のうち、日帰りで行けそうなのは、刈谷の「楽聖宮城道雄先生供養塔」です。
もともと、名古屋に出張した時にでも、ついでに行ってこようと思ってた場所ですが、
しばらく名古屋に出張する機会もなさそうなので、思い切って行っちゃうことにしました。

東急線を乗り継いで新横浜まで行き、新横浜発11時16分の東海道新幹線「こだま」で西へ。

いつもの出張なら、のぞみの指定席ですが、
今回はプライベートなので、少しでも費用圧縮するために自由席利用。
そして、自由席使う前提なら、こだまかひかりの方が自由席多いので有利だろうと。

出張の時には、わざと通路側の席を取るんですが、
今回はプライベートなので、窓側の席に座ることに。

天気はとても良く、富士山がきれいに見えてました。

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そして13時8分に豊橋駅へ到着。

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ここから在来線に乗り換えですが、まずは腹ごしらえということで・・
豊橋駅の駅ビルにあるラーメン屋さんにて、「塩鮪だしラーメン」を食べました。

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さっぱりとした塩味で、麺はそうめんみたいな極細ストレート麺。
非常にあっさりと頂くことができました。

ラーメンを食べた後には、在来線に乗り換え、揺られること30分ほど。
ようやく目的地・刈谷駅に到着です。

到着後はiPadのGoogleマップ便りに徒歩で目的地へ。
そしてついに目的地に到着しました。

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楽聖宮城道雄先生供養塔です。

宮城道雄先生は58年前の1956年、関西へ演奏旅行に向かう途中、
この刈谷駅のほど近くにて夜行列車より転落。翌日亡くなられました。

この碑は、そんな先生をご供養するために、
宮城会と刈谷市などが協力して建立したものです。

宮城会の宮城道雄顕彰事業の実施地になっており、
浜木綿忌には全国から多くの宮城会会員が集まります。

敷地内には、道雄先生の奥様、貞子夫人が建立されたお地蔵さんなどもあり、
まさに聖地の雰囲気漂う場所でございました。

ここで10-15分ほどを過ごし、再び刈谷駅へと取って返し、
帰りは一旦名古屋に出て、そこから新幹線に乗ることにしました。

再び列車に乗り、名古屋駅へ。

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そして以前、松本支店の先輩に教えてもらった、
美味しいと評判のホーム上の立ち喰いきしめん屋に立ち寄ってみました。

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頼んだのはかき揚げきしめん。
揚げたてのかき揚げを乗せて出してくれます。

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このボリュームで500円はお得です。
しかも、注文してから揚げてくれるかき揚げが絶品。
だしも関東風の濃すぎるだしではなく、やわらかな味わいのだしでした。
確かにこれなら、入場券買ってでも食べる価値のある味です。

大満足しながら、新幹線ホームへ。
ちょうど、すぐに東京行き「ひかり」があったので、それに飛び乗って帰途につきました。

帰り道、ちょうど富士山が、ちょっとだけ赤富士っぽくなっていたので、
写真を撮りつつ、今日の旅は終了となりました。

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宮城道雄先生の生誕地、墓所、そして遭難の地と、
とりあえず最低限辿りたかった足跡がこれで完了しました。

あとは、伊勢と、南紀白浜の天響の門、そして鞆の浦ですね。
いずれも日帰りはちょっと無茶かつ、もったいない場所なので、
土日かけて1泊2日で行けるように段取りしたいと思います。

閉店を惜しんでの無炉爛会!

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田町にある室蘭やきとりのお店「北の箸 無炉爛」さんが2月8日で閉店されるそうなので、
Facebookのお友達に声をかけて、2月6日に無炉爛会を開催しました。

無炉爛さんはカウンター・テーブルあわせて20席ほどの小さなお店なので、
あまり大人数でおしかけるとご迷惑かなと思い、
今回は選抜メンバー5名に声をかけ、うち4名の出席でした。

なので、お声掛けできない人もたくさんいました。ごめんなさい。。m(_ _)m

この無炉爛さん、田町に本拠地を置く居酒屋「駒八グループ」に所属しており、
「駒八グループ」の社長さんが室蘭出身で、僕の高校の大先輩なんです。

なんと、その社長さんもわざわざ顔を出して下さり、
短時間ですがいろいろとお話を伺えました。

駒八グループさんではこの春にかけてグループ全体で新たな挑戦をされるそうで、
その一環としてここ無炉爛さんと、青物横丁のお店は
ラーメン屋「直久」とのコラボでラーメン店に生まれ変わるとのこと。

そして、今は「駒八おやじのどさんこ市場噴火湾」となっている八重洲のお店など、
何店舗かが「無炉爛」の名前を引き継ぎ、4月にリニューアルするとのこと。

無炉爛はここで終わりなのではなく、これから発展していくんだとのお話に、
社長の郷土愛と、挑戦を続ける姿勢に深い尊敬の念を新たにいたしました。

八重洲のお店のリニューアルオープンに合わせて、
またオフ会でも企画したいなーと思います。

社長が本店に戻られた後も会話は弾み、2次会まで行って終電で帰宅しました。

今日、集まって下さった方たちは皆50代の方ばかりで、人生の大先輩方です。
そんな方たちと分け隔てなく、共通の話題で盛り上がれるということが、
凄いことだなぁ、と改めて実感しました。

以前、副管理人をしていたページでは実現できなかったあれこれに、
また挑戦してみたいなぁ、と改めて感じた夜でした。

「てつのまち」グループもFBを戦場に頑張ります!

懐かしい雰囲気

昨日の日曜日は、神奈川県茅ヶ崎市まで出かけて行きました。
というのも、以前からFBで交流させて頂いている宮城社の池上眞吾先生の社中の
おさらい会が開かれるということで、ご案内を頂いたのです。

昨年もご案内を頂いたのですが、昨年は所用があり失礼させて頂きました。
なので、今年初めて聴かせて頂いたというわけです。

茅ヶ崎市には訪れるのも初めてで、どきどきしながら会場に向かったのですが、
駅を出て南側は行けども行けども住宅街で、不安になるような細い路地を抜けて、
ようやく辿り着いたのが会場の老舗旅館「茅ヶ崎館」です。

本当に明治の頃からある旅館で、重要文化財にも指定されている建物でした。
その茅ヶ崎間の和室大広間を会場に、池上先生一門のおさらい会が開かれました。

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おさらい会とは本来、
社中(師匠と、師事する弟子から成る団体。一家や一門とも言います)の内輪の会で、
通常は社中関係者とその家族ぐらいにしか声をかけません。

このようなおさらい会を見せるというのは、それなりに葛藤のあることのはずですので
ここにお招き頂いたことをとてもありがたく、誇らしく感じた次第でございました。

プログラムに記載の曲数は全34曲。
奏者はお稽古を始めたばかりの方や子供さんたちから、
上はプロとして活躍中の人まで全て一人弾きで演奏されてました。
そのことにまずぶったまげました。

そして、子供さんに至るまで、もちろんそれぞれの段階はありますけど、
誰一人として、おかしな弾き方をしたり、おかしな音を出したりする人がいなかった。
さすがとしか言いようがありません。

普通、子供さんとかだと、力が無いですから、
押し手の音なんて決まるものではないんですが。。
ぴたっと正確な音程の押し手にびっくりしました。

そんなこんなでレベルの高さに驚いたわけですが、
曲選としては、初伝で習う曲、中伝で習う曲、奥伝で習う曲、皆伝の曲などなど、
いろんな段階で習う曲が順番に出てきて、しばらく聴くことのなかった曲の数々に
懐かしさと、自分の師匠との思い出を思い出しながら聴いてました。

通常、外向きの会では皆伝以上で習うような曲しか出しません。
なので、身内のおさらい会でも無いと、奥伝以下の曲って聴く機会が無いんですよね。

僕も、自分の社中のおさらい会が4-5年前から無くなってますから、
本当に久しぶりに聴く曲ばかりで、懐かしさと、師匠との思い出が胸をよぎり、
なんとも言えない暖かな気持ちで聴かせて頂きました。

曲の合間に出演者を見ていると、まず男性奏者が多いのに驚きました。
そして男性奏者同士が、年齢に応じて兄弟弟子として、兄弟子が弟弟子を見守り、
弟弟子は兄弟子に憧れて、兄弟子の背を追っている様子が伺えました。

僕も小学生の頃は兄弟子に面倒を見てもらいましたし、
大学までは弟弟子がいましたので、かつての自分と重ねあわせてしまい、
懐かしく、そして二度と戻ってこない自分の社中のかつての光景に少し寂しい気持ちと、
ないまぜになったちょっと切ない気持ちで見ておりました。

演奏は1曲7分と決められているそうで、
どんな古典の大曲も7分。それでいて抜粋に無理がなく、
まさにダイジェスト版といった雰囲気で各曲のみどころを網羅できるようになってました。
これはやはり曲を知り尽くし、作曲家でもある池上眞吾先生のご指導の賜物だろうなぁと
ただひたすら驚いていた次第です。

終曲は春陽楽第4楽章「さくら」。
箏2パート、三絃2パート、胡弓2パート、十七絃2パート、尺八2部、打ち物、そして玲琴と
フルパートでの迫力ある演奏に、おもわず鳥肌が立ってしまいました。

宮城社にはたくさんの社中がありますが、
この曲を自社中だけで全パートそろえて演奏できる社中は
そうそうあるものではありません。

うちの社中が最盛期だった30年前でも、無理だったと思います。
それを難なくやってしまえる池上先生のご一門の、層の厚さといいますか、
レベルの高さに圧倒された演奏でした。

おさらい会終了後は、FBで交流させて頂いている静岡の某先生と
そのお弟子さんがお見えでしたので、茅ヶ崎駅近くのお店で軽く会食させて頂きました。

その先生とお弟子さんも男性奏者ということで、
まぁ、男性奏者という繋がりでお付き合いさせて頂いているのですが、
まぁ箏曲の世界では少数派の男性奏者同士ということで、いろいろ共通するものもあり、
思い切り盛り上がってしまいました。とても楽しかったです。

思いがけず懐かしい曲と懐かしい思い出に出会え、
そしてFBでしか交流のなかった方たちと直接ご挨拶でき、
とても充実した休日を過ごすことができました。

お招き頂いた池上眞吾先生に心から感謝したいと思います。