旅日記、2つ目行きまーす。
第一回はこちらをご覧下さいね♪
北海道ローカル線の旅(1)
深川駅を出た列車は山を越え、下ると留萌川に沿って日本海を目指します。
行きの沿線風景は残念ながら写真は撮ってないです。だって、大混雑だったので。。
で、12時4分に留萌駅到着。ここで10分ほど停車です。
もしかしたら、留萌で少し客が減るんじゃないかなぁ? と淡い期待を抱いてたんですが、あっさり打ち砕かれました。人が来るわ来るわ。
どうやらバスとか車で留萌まで来てる人もいるみたいですね。
そ・・・そんなの邪道だー。(笑)
で、さらに超満員になった列車は留萌を出て日本海側の海岸線を南下します。
「阿分(あふん)」「信砂(のぶしゃ)」「舎熊(しゃぐま)」などなど、日本語とは思えない駅が続きます。
車窓の風景も、眼下を通る国道の他にはちらほらと人家が見えたりする程度。
なんとも、物悲しい風景が続きます。
道東の釧路以東や、道北の稚内方面に近い風景ですね。「最果て感」が半端じゃないです。距離的・緯度的にはまだまだ道央に近いはずなのに・・。
12時44分に終着駅・増毛駅に無事到着。
到着と同時に、大部分の乗客が後ろ側のドアに向かいます。この列車は前乗りワンマン。つまり留萌方面に戻るのには、こちら側から乗り直さなきゃいけません。
せっかく増毛まで来たのに、まちに出ないでそのまま折り返すなんてもったいない・・と思いますが、まぁ旅の目的も楽しみ方も人それぞれですよね。(^^
線路がここで途切れている。
ちょっとひん曲がったレール、ちゃんとした木の不揃いな枕木。その先のエンドマーク。
まさに終着駅の雰囲気満点ですね。
2013年7月に江差線を全線制覇しているんですが、その時に行った江差駅と較べても、さらにもう一段階「最果て感」の強い終着駅です。
こんな雰囲気の駅が無くなってしまうなんて悲しいかぎりです。。
きっぷ売場の跡でしょうか。「そば処増毛駅、閉店しました」と書かれてるので、ここにそば屋さんがあったのかもしれませんね。
旧富田屋旅館というそうで、今は営業してないとか。こんな立派な旅館があるまち。素敵です。最盛期には夜ともなれば、この2階・3階の窓から明かりと人々の声がもれてたのでしょうかね。
そして駅前通りに出ると、この街並みです。
もうね。ズルいと言いたくなります。こんな歴史的で素敵な街並みが残ってるなんて。
ちなみに右側の「増毛館」は昭和7年建築の旅館だそうで、今も旅館として営業しているとか。なんでも今のご主人が買い取って、自分たちで直して営業しているのだとか。素敵ですよね!
左奥は国指定の重要文化財、「旧商家丸一本間家」です。
思いがけない街並みとの出会いに胸は高鳴りますが、お腹も減ったのでまずは腹ごしらえ。増毛館の右隣にある市場の中に、「海栄」というラーメン屋さんがあったので、そこで「野菜塩ラーメン」を注文しました。
一口目。「むむむ?」
二口目。「むむむむむ?」
スープをすする。「あちちっ!(>_<)」
えっとですね。一口目にはあまり美味しく感じなかったんです。でも、どこか懐かしい味。。
食べてるうちに気づきました。たぶん、僕の味覚が都会の濃い味に慣らされてバカになってるんだと。
この優しい味のラーメンは、ちゃんと野菜の味もしてるし、ダシも効いてるし、塩気もしてる。
昔ながらの、丁寧に作られた塩ラーメンだったんです。
たぶん、化学調味料のどっさり入った既成品のスープは使ってない。
野菜とかを飴色になるまで丁寧に炒めて、そこに丁寧にとったダシを入れて作ったスープ。
その証拠に、このスープは熱々です。炒め野菜の熱ですね、きっと。
都会のラーメン屋では、まずここまで熱々のスープにお目にかかりません。
そんなラーメンに、失礼ながらちょっとだけ胡椒を振って、美味しく頂きました。
食べ終わって、会計を済ますと、早速街並み散策開始です。
駅にロッカーとかあれば、荷物を預けたかったんだけど、残念ながらロッカーは見つけられず。そういう文化が無いのかもなぁ。
で、気になっていた「旧商家丸一本間家」を見学することに。
ここは内部を撮影して良いかわからなかったので、外観の写真のみを撮ってます。
ここはかつて増毛随一の豪商と言われた丸一本間家の本店だったところです。もともとは小樽の商家に勤めていた創業者が、外商を任されていた増毛に根付き、独立開業したものだそうです。当初は呉服を中心に雑貨なども扱っていたそうです。
この創業者、創業間もない頃、隣家の火事が延焼して家財を失ったことがあったそうで、その反省から蔵はもちろん、店舗まで石蔵・土蔵作りで作り、高い塀で敷地を囲っていたのだそうです。この外観からもかなり重厚な印象を受けますよね。
増毛の海は当時、鰊漁で空前の賑わいでした。
今でこそ市制を取る留萌のほうが大きなまちですが、もともと歴史的には増毛の方が古く、増毛こそがこの地域の中心地であった時代が長く続きました。
また、南部の江差や積丹半島あたりは昭和初期にはもう鰊が来なくなってましたが、ここ増毛には昭和20年代まで鰊が来ていたそうです。ごくごく最近のことですよね。
もともとはそういった網元や船主相手に高価な呉服や雑貨を商っていた本間家は、商売が軌道に乗ると、自家も船主となって鰊漁に進出。それに関連して海運業や林業、農業、畜産業などにも手を広げ、ついには道内有数の豪商と呼ばれるようになりました。今でいうところの、総合商社ですね。
ちなみに「最北の酒蔵」として有名な國稀酒造は、この丸一本間の醸造部が母体となっており、会社名も2001年までは「丸一本間合名会社」でした。
内部は蔵造りの店舗部分と、純和風建築の住居部分を組み合わされ複数の建物を土間が繋ぐ独特の構造になってました。土間に屋根と壁が付けられているのは寒冷地ならではの工夫かもしれませんね。
この建物にも丸一の屋号がありますので、おそらく本間家の持ち物なのでしょうね。かつては倉庫として利用されたのでしょうか。
ここには、本物の「鰊船」が展示されてました。これは鰊が来なくなった後も漁家で保存されていた鰊船を復元展示したものだそうです。今となっては珍しい和船ですが、当時は鰊がエンジン音を嫌うこと、鰊を傷つけることから洋船は避けられ、鰊漁にはずっと和船が使われていたそうです。
このすぐ近くが海になってたので覗いてみました。
この海が、最盛期にはたくさんの鰊船でうめつくされていたのでしょうね。
この辺りから冷たい雨がぽつぽつと降り始めて、テンションだだ下がりに・・。
一応、帰りの汽車の時刻は15:41と17:47と19:48の3本を調べてあったのですが、15時台の汽車で帰ることに決め、最後にここに寄りました。
増毛に来たからには、ここは避けられないですよね!
はい。最北の酒蔵、「国稀」醸造元の國稀酒造です。
ここも内部撮影NGでしたので外観のみです。
でも、内部はかなりおおらかな感じで。普通酒蔵の見学って、決められたルートを整然と歩くイメージだったんですが、ここはタンクの並んでいる蔵の中を好きに歩いていいことになっていて、非常にびっくりしました。もちろん、入っちゃダメなところには「立ち入り禁止」って書いてるんですが。
ひとしきり見学して、井戸水やら試飲のお酒を飲ませてもらった後には、買い物タイム。室蘭の父と東京の自宅用に限定醸造のお酒を1本ずつ地方発送したのと、この日の晩にホテルで飲む用に普通のお酒の小さい瓶を1本、買いました。
買い物が終わって、少し時間があったので、店舗の一角で一休み。
そこにはこんなクマさんがいました。(笑)
なんだか持ってちゃいけないトートバッグ持ってる気がしますが。(笑)
そんなこんなで15:41発の汽車で増毛を後にして、留萌まで戻りました。
この日の夜は留萌で宿を取りました。
ホテル ノースアイというホテルで、外観は1Fにスナックが入ってるような、よく地方にある飲み屋ビルな感じ。なので、どんな宿だろうと内心ドキドキしましたが、至って普通のビジネスホテルでした。新しくてきれいで広くて満足。
続きの3日目の分は(3)でお届けしますね。