人の命なんて、たかだか70億分の1。そこに価値など、あろうはずもない。
「70億を有する君ら種族が、どうしてたかだか一個体の生死にそこまで執着するのか、僕には理解しかねるね。」
と、某アニメの白い生き物に言われそうですね。
でも、人は必要とされたい。価値を認められたい。そういうもんなんだと思う。
そして、自分は必要ない。価値はないと、そう思った瞬間、生きる意味を失う。
今、僕がここにいる意味って何だろう。
もちろん、僕が大切にしたい人、大切にしたいことがたくさんある。
たくさんあるのに、届かない場所にある。
届く場所に行くことができない。それじゃ意味がない。
そして。それが本当に、相手にとっていいことなのか。
ありがた迷惑ならまだしも、ただの迷惑になっちゃいないか。
少なくとも、生死のレベル、生計のレベルで僕を必要とする人はいない。
これまでも、これからも。たぶんきっと、ずっと永遠に。
ってことは、どんなに頑張ったって、
「いたら便利だけど、いないならいないで、代わりはいくらでもいる。」
これが実態なんじゃないかと思う。
僕がここにいる意味って何?
所詮、人間は誰かの道具としてしか、意義を認められないのか。
最近よく同じ事考えてる。高々7,80年の命。明日にでも隕石が降ってきたらそれでゴミ屑のように人類なんて終幕してしまう。一生懸命生きる意味なんてあるのか?と。あんまり無いんだろうね。この広い宇宙の片隅の小さな惑星の小さな国の小さな人生。あまりにも矮小すぎる。けれども「あんまり無い」ってことは裏を返せば「多少はある」ってことなんだよね。ので、別に道具になる必要は無いし、あるがままに生きれば良いのだ。終わるときは終わるんだし、と思うようにしている。代わりは居るかもしれないけど、代わりにならないこともあるわけで。小さなことかもしれないけどねー。白くて小さな生命体は個別に感情を有していないので、当てにはできんべ(笑)感情を共有できない群体なんて、ちょっと怖いわ。