皆様にご報告があります。
私、この度4月末を以って今の仕事を辞め、地元室蘭にUターンすることになりました。
次の仕事もすでに決まっております。
ものすごい長文になってしまいましたが、ここに至る道のりをまとめてみましたので、お時間ありましたらお付き合い下さい。

先行してFacebookで室蘭関係者にはご報告したのですが、なんと50人近くの方からお祝いのコメントを頂き、びっくりしました。(^^;
そのうち何人かの方から、
「英断ですね」
「勇気ある決断ですね」
とコメントを頂き、あーこれって普通は「一大決心」なんだなぁと改めて気づいた次第。
どうして今回、一切迷いなく即決できたのか、と改めて考えてみました。
確かに年収は大幅に下がり、3分の2くらいになります。
東京での今の仕事に不満があるかと言えば、特になく、それなりに社内外から評価されてて、楽しく過ごしてました。
それでも迷いは一切、無かった。不思議ですよね。
決断のとき
改めて考えてみたら、たぶん決断自体は6年前に済ませてたんだと思います。
6年前、30歳の誕生日の時に、40歳までの10年間どう生きて行こうか、何を目標にしようか、考えました。
その時の結論が、
「40歳になるまでに、仕事を見つけて室蘭に帰る」
だったんですね。
なので、その時に「決断」は済ませてたと言ってもいいと思います。
うちは、母が2002年に死んでて、僕が2003年に就職、2006年から東京にいますので、親一人、子一人、バラバラで暮らしているというのが今も続いています。
30歳、2010年の時点で、父は57歳。
定年が数年後に見えている状況で、父の老後をどう支えようか、というのは僕の人生全体を考える場合にはとても大きな要素でした。
40歳の時点で父は67歳。
継続雇用も終わりかけの状態になるでしょう。
その頃までには室蘭に帰り、まぁ父がどのような形を望んだとしても、応えられるようにしておきたい。
当時は今ほど室蘭大好きではありませんでしたから、動機としてはそれが一番大きなものでした。
そのように方向性が定まった時点で、改めて自分の置かれている状況を整理してみました。
今勤めている会社では、総合職は「全国転勤あり」の条件を了承して雇用されています。
それ自体は、自分で了承して入社しているので、それをもとに会社を批判するつもりはありません。
ただ、今思い返せばたまたま東京に11年もいましたが、これはとてもレアケースで、本来は4-5年ごとに転勤があるのが普通です。
そして、室蘭には拠点がありません。
将来、父に何かあった時に、一時的に数年、札幌支店に異動したい、という希望をすれば、状況が許せば通るかもしれません。
(状況が許さなければ、絶対に通らない。)
そして、条件が揃って札幌に異動したとしても、また4-5年後には転勤を言い渡されます。
もしその時点で、父が要介護の状態になってたりしたら、もう仕事を辞めるしか選択肢は無くなります。
追い詰められて、40過ぎたその時点から室蘭で転職先を探すのは、もうおそらく絶対不可能と思えました。
であれば、追い詰められる前に、良いタイミングで仕事を変える、というのは、どうしても必要なことだと、その時点から常に感じていました。
転職活動の失敗
今すぐでなくとも、いつかは転職するしかない、と僕は腹をくくりました。
それなら若いうちの方が可能性が高いと考え、2010年、某大手転職エージェントに登録し、転職活動を始めました。
ここで流されやすい僕の気質が災いし、ちょっとした失敗を経験します。
転職における「条件」をきちんと決めて、エージェントに伝えることを怠ったため、紹介されて面接に言った企業は、東京都内に事業所のあるIT業界の会社ばかりでした。
そもそもIT業界で働く前提なら現状に不満は無く、強く現状を変えたいという意志も無かった当時の僕は、何社かは役員面接まで行きましたが、結局一件も内定を得ることはできませんでした。
最初に紹介された数件を全て不採用で終え、次の紹介の時に条件として出したのは、
「他業種でもいいので、北海道の求人を」
というものでした。
結果的にはこれも全て失敗します。
異業種に転身してまで頑張ろう! という強い意志が無かったのを見抜かれたのでしょうね。
この時点で、僕は一旦、転職エージェントの登録を解除し、転職活動を中止しました。
結局、この2010-2011年の転職活動は大失敗に終わりましたが、転職を考えた時に、自分に何ができるのか。
そして、転職市場で自分にどんな価値があるのか。
どんな地域のどんな業種に需要があるのか。
それを知る意味でとても大きな経験となりました。
Facebookとの出逢い、そして室蘭再発見
2011年3月、あの未曾有の震災で、東京都内も一時期、商店から商品が消え、輪番停電が行われ、非日常の状態に置かれました。
そんな中で情報収集手段として始めたのが、Facebookというツールです。
「40歳までには室蘭に帰る」という方向性は持ち続けつつも、具体的にどうする、というのを見失っていたこの頃、Facebookで何気なく「室蘭」を検索し、知ったのが某コミュニティでした。
当時、まだいいね!が100件も付いてなかったそのFBページをきっかけに、東京近郊にいる室蘭出身者の方たちと繋がったことで、僕の「室蘭再発見」が始まりました。
オフ会に参加し、在京室蘭人に混ざって交流するうち、そして室蘭をライフワークとする、
とあるプロ写真家の方と出会ったことが大きかったです。
「人の営みと大自然が背中合わせの距離で共存している。」
「室蘭ほど面白いまちは、他にはない。」
そう言われて、改めて見返した時、いままで当たり前で、ありふれてて、それでいて何もなくて、つまらないはずのふるさとが、ちょっと違って見えてくるようになりました。
そして、2012年、てつのまち写真館の開設。
表向き、室蘭を離れた室蘭出身者に、今の室蘭を伝えるのをテーマにしてましたが、実際には、これは僕が室蘭を再発見していく大切なプロセスになりました。
(バーチャル)室蘭市民として活動
こうして、Facebook上で少しずつ人脈を広げていく中で、2014年に大きな転機がありました。
たまたま「てつのまち写真館」で紹介した建物の写真に、たまたま付いたコメントがきっかけで、この建物の保存活用の活動に関わることになったのです。
最初は得意のネット上での活動で支援をしていましたが、これをきっかけに「蘭歴建見会」などの室蘭の市民活動に直接関わるようになって行きました。
そして(一社)むろらん100年建造物保存活用会の設立に際し、設立資金の一部を出資し、理事に就任。
そうして、各種市民活動に顔を出しているうちに、気づいたら室蘭市内での人脈がどんどん広がって行きました。
嬉しいことに、
「毎週室蘭にいるよね? 本当に東京の人?」
「山田さんは室蘭の人だから。」
「また東京に出稼ぎ行ってらっしゃい!」
という声をかけて頂くことも増え、
確実に室蘭の人たちに受け入れて頂いて行ったのです。
いつしか、室蘭に僕の居場所が出来ていました。
いや、物理的な「場所」に限らずですが、市内で出会ったら声をかけてもらえる、そんな知り合いが増えて行ったのです。
それとともに、僕も改めて、このまちで、このまちの人たちと一緒に生きて行きたいと
強く感じるようになったのです。
これから
そんな室蘭の人たちとのご縁のお陰で、今回室蘭に帰ることになりました。
これは僕の力、僕のやったことなんて何一つなく、全て人と人とのご縁のおかげです。
東京での人間関係はどこかクールでビジネスライクですが、地方はやはり人と人との信頼関係、ご縁で成り立っているのだな、というのを今回とても強く感じています。
そんなご縁の中で、この先の人生、室蘭というまちのために、このまちでたくさんの人たちと一緒に生きていくために、働いて行きたいと思ってます。
東京での10年間は、室蘭を外から見る、とても貴重な機会を得ることができました。都会の人たちが地方で何を感じ、何に価値を感じるのか、を学ぶことができたと思ってます。
変化の激しいIT業界で働いた経験は、ITを使えば物理的な場所は関係ないこと、どこにいても、同じ情報に触れられ、どこにいても同じように働けることを僕に教えてくれました。
これらを武器に、これからは室蘭をより良くしていくお手伝いをしたいと思います。
今後とも皆様、よろしくお願いいたします。
室蘭にUターンで戻ってこられると知り、すごくうれしいですo(^0^)o
さらなる大活躍を期待しています。
私もご一緒させてください。
モカさん、コメントありがとうございます!
仕事にうまく絡められるかはともかくとして、
「ITで室蘭を強く楽しくする」というのが
この先の僕のテーマの一つになると思ってるので、
モカさんいろいろご一緒させて下さい。
今後ともよろしくお願いいたします(^^
突然でごめんなさい。
転職、思っていたのと大分違って、大変な事になるんじゃないかと心配しています。
しっかりと意志を持って頑張って下さい。
応援しています。
大きなお世話ですけど。