現代における情報の見極めの重要さについて

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 コロナ禍も長く続いて、何が嘘で何が本当かも曖昧になってきている今日このごろ。しかも真偽不明の情報があふれる現代において、情報の中身を見定めることが以前よりも重要になってきていると思います。

 情報を評価する上で、「それが一次情報かどうか」っていうのが、かなり重要だと思うんだけど、どうも世の中の人たちは二次情報や三次以下の情報に振り回されているように思えるので、そのあたりを整理してみたいと思います。

一次情報とは?

 情報は、人から人への伝えられて行きます。伝言ゲームの例を挙げるまでもなく、間に多くの人を介するほど、情報の中身が変わっていってしまうリスクがあります。
 それは、悪意をもって改ざんされる意外にも、ある人の「理解できた範囲」が狭くて意味が変わってしまう場合や、極端な話、わかりやすく噛み砕いたつもりが、意味が変わってしまうケースも多くあります。

 そんな中で、「変わる前」の、「大元の情報」が一次情報です。
これは、「当事者(情報として伝えるべき事象を見聞きしたり、起こしたり、作ったりした人)が伝える情報」を意味します。

 一次情報を聞いた人が、他の人に伝える情報が二次情報。二次情報を聞いた人が他の人に伝える情報が三次情報といった具合です。
 この情報が氾濫する時代に情報を整理するには、自分が見ている情報が、何次情報に当たるのかを意識することが第一歩です。

かつては二次情報が最も信頼性の高い情報だった

 勘の鋭い人なら、この「二次情報」にあたるのが、新聞やテレビ、ラジオのニュースだと気づくでしょう。これら報道機関は、取材によって一次情報を集め、それを編集して読者に販売し、生計を立てています。
(新聞やテレビも、通信社(共同通信や時事通信)から情報を買っている場合もあるので、その場合は三次情報です。)

 かつて、インターネットが普及する前は、一般人が一次情報を得るのは、まず不可能でした。
 例えば、自分たちの住んでいる自治体の予算がどうなってるのか、知りたいとします。その場合は、自治体に情報公開請求をして、認められれば公開されます。でも、その手続きは役所の開庁時間に行う必要があり、普通の働いている人がそれをするのは困難です。
 だからこそ、報道機関を通じて得る情報が「最も信頼性の高い情報」であり、無条件で信用されてきたのでしょう。
 その時代を長く生きてきた人が、今も報道を重視するのには、こんな背景もあるのだと思います。

インターネットの普及により、誰もが一次情報を得られるようになった

 現代はインターネットの普及により、中央省庁や自治体が当たり前にWebサイトを持ち、情報を公開する時代になりました。これまではテレビ局が切り貼りした編集済の映像でしか見られなかった要人の会見も、誰もが自由に全て見ることが出来るようになりました。
 それ意外の情報も山ほど流れるようになりました。主に「情報の受け手」でしかなかった一般人が、SNS等を通じて誰もが当たり前に発信者になれるようになりました。

 結果、生まれたのが、あらゆる信用レベルの情報が並列にごった煮で存在するインターネットという媒体です。
 よく報道で「ネットの反応では云々」と報じられますが、このごった煮の、どの部分を切り取ったものなのか、よくわからなくなってきていますね。

 その状態を見て、「インターネットは信用できん。嘘ばっかりが流れている」という人がいます。
 事実です。そういう側面もあります。でも、それだけではありません。

 インターネットを利用することで、「一次情報」を一般人が得られるようになったこと。それが、報道機関や、ある層の人たちが一般人に気づいて欲しくないであろう、でも素晴らしいことなのです。

 「一次情報」を得られることで、報道機関が報道する「二次情報」「三次情報」と比べることができます。
比べた結果、報道の過程での編集や切り貼りで、情報の意味が変わってしまっている例が山ほど出てきます。

 これはある意味、仕方のないことでもあります。
 報道機関は、「情報を売って、ごはんを食べている」のです。
 売るということは、買い手がいるということです。
 つまりは、「より多くの買い手に買ってもらえるように、情報という商品をデザインする」ということ。
 どんなに正しくて、社会的な価値のある情報でも、売り物にならないなら報道しない、ということです。
 もしくは売り物になるように改変するということです。
 それは、報道機関が営利企業である以上は当たり前のこととして、僕たち消費者は認識してないといけません。

 どうしても前時代からの感覚で、僕らは報道機関がどこか公的なもの、社会正義を追求するものだと思いこんでます。でも、実はそんなことはない、ということをよくよく認識しないと、報道機関が望む方向に流されてしまう、ということになります。

インターネットでは、情報の出元に注意しよう

 話が少し逸れたので戻します。
 インターネットが、様々な信用度の情報が無秩序にあふれている場所だということは先述しました。
 そこから、僕たちは信用度の高い情報を集め、自ら考え、判断しなければなりません。
 この、「考え、判断する」ことを他人任せにしてしまうのが一番いけないことです。
 民主主義国家において、国民が考えることと判断することを放棄するというのは、誰かの独裁を許す(誰かに考えることと判断することを委ねる)ということに繋がります。第二次世界大戦前夜のドイツでは、まさにこれが起きて、ドイツ国民は「考えること」と「判断すること」を総意として、ごくごく民主的なプロセスを経てナチスに渡してしまいました。その結果がどうなったかは、歴史を見れば明らかです。

 インターネットの情報で、まず得るべきは一次情報です。
 ニュースで気になる話題があったら、その出元を探す。政治の問題なら政府や中央省庁のサイトを。地域の問題なら自治体のサイトなど。商品や技術の話題ならその開発元など。

 例を上げます。今話題のコロナのことです。
 例えば、昨日2021年8月26日の北海道内の陽性者数は504人でした。それを北海道新聞はこう報じています。

「道内504人が感染」

 これは、道の発表を受けて北海道新聞が記事を書いた「二次情報」です。
 では、一次情報はどうなってるのでしょうか。北海道の公式Webサイトで日々情報が公開されています。

 ここにある、日別の発表情報を集計して北海道新聞が記事にしているのですが、よく見ると気づくことがあります。

 道の発表では、この報道発表資料等において、「感染者」という言葉の使い方が少し微妙です。
 頭のタイトルからして「新型コロナウイルスに関連した患者の発生」です。
 見出し等では「感染者」というキーワードが多少散見されますが、表の項目名は「陽性者数」です。

 ここから、道はあくまで、「新型コロナウイルスに関する検査に陽性だった患者」を発表しており、それを明確に「感染者」とイコールであるとは位置づけていないことが伺えます。

 一方で、北海道新聞の記事に戻ってみると、「504人が感染したと発表した」と断言している。そして、「道内の感染者数は述べ5万5038人」と断言してますが、道の発表資料では「陽性累計」であって、感染者とは書いてません。

 この辺りが、二次情報を作るにあたって情報が変わってしまっている良い例ですね。
 北海道新聞さんとしては、「陽性」という「専門用語」を、「感染」というわかりやすい表現にして、読者にわかりやすく記事を作っているのだと思いますが(たぶんそうです。そうのはずです。)、そうすることによって意味が変わってしまっている。

 これは表裏あって、一次情報が「はぐらかそうとして、ごまかしている」部分を、報道が「明確化して事実を伝える」場合も無くはありません。報道機関が真実を暴くパターンです。だからこそ、どちらか片方ではなく、両方見て、自分で考えて、自分で判断することが大事だと思うのです。

 今、僕たちは、未だかつて無かったほど、情報的見通しの良さの中を生きられています。
 その中で、いかに事実を集め、自分で考えて、判断するか。そのためにも情報の見極めはより重要になってくると思います。

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