2015年 あけましておめでとうございます。

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2015年、初めての更新となります。皆様あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

今年は年末年始なにかとバタバタしてまして、ブログ更新が今日までズレ込んでしまいました。。

さて。それでは毎年恒例にはなりますが、今年の目標といいますか、抱負を書きたいと思います。今年は、

1、聖地巡礼旅の完結
2、5キロ以上の減量
3、室蘭でのリアル活動の強化

の3つを挙げたいと思います。

1は、大晦日にも書きましたが、宮城道雄先生の足跡をたどる旅が未完になってますので、これを早期に完結させたいなと思います。2013年9月に決意し、少しずつ進めてきた取り組みで、すでに2年越しになってますので。

2は、日頃の不摂生がたたり、また体重が73-4キロまで増えてます。これを少なくとも60キロ台まで落としたい。そのためには短期的なダイエットではなく、中長期的な生活習慣の改善が必要です。
最近は特に腸内環境が悪化してるのでは? という実感がありますので、食物繊維を多めに取り、糖質は控え、ヨーグルトを食べる習慣を身につけたいですね。

3は、昨年からの継続になります。むろらん100年建造物保存活用会の理事としての活動や、蘭歴建見会の会員としての活動などを通じて、室蘭のいろいろな方たちとのご縁が生まれてますので、これを大切に深化させて行きたいと考えてます。もちろん、FBページ「てつのまち」グループの運営も継続・強化していきます。

昨年12月から、新たな貯蓄の試みとして、外貨での定額積立預金を始めました。
月1万円ずつですが、給料日の翌日に引き落とされて積み立てられます。

この、毎月一定額ずつ金融商品を購入するのは「ドル・コスト平均法」と呼ばれるそうで、高い時には少なく、安い時には多く買うことになりますので、長期的に見ると購入金額が平準化され、リスクを低減することができます。
以前僕は、何もわからず外貨定期預金にどーんとお金を入れて、ン十万を蒸発させた経験がありますが(恥) その経験を踏まえても、今の状況で日本円だけを貯蓄するのはリスク分散の観点から望ましくないと判断してます。

僕らはどう考えても老後、年金はもらえない世代なので、多少は稼げている今のうちに1円でも貯金をしておかないと大変なことになる・・そう考えてます。
でも、ただの守銭奴では意味がありませんので、そこはメリハリをつけて、使うべきところでは使う、も徹底して行きたいところですね。

2014年 大晦日

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皆様おばんでございます。

早いもので、今年もあと45分ほどとなりました。
今年も元旦に目標を3つほど立ててましたので、それをもとに振り返ってみたいと思います。

1つ目は、邦楽における再始動を挙げました。
今年はお正月4日のロビーコンサートから始まり、7月には宮城会全国演奏会、10月には北海道三曲連盟全道演奏会と大きな演奏会をこなして来ました。
合間合間には、お箏教室を開く姉弟子のところで一緒に練習させて頂いたりと、昨年よりもちょっとだけたくさん活動できたかな? と思います。

2つ目は、聖地巡礼の完遂を挙げました。
これに基づき、2月に刈谷、7月には伊勢と白浜を訪れましたが、最後に一箇所、鞆の浦だけがまだ行けてません。というわけで未達成ですね。

3つ目は、写真撮影技術の向上です。
てつのまち写真館に掲載する写真の質を上げたいということで決めた目標でしたが、ようやく夜景写真とか、人様にお店できるかなー? ってレベルのが撮れるようになってきました。

最近実感しているのが、自分から見ても、だいぶ考え方がポジティブになってきてるな、ということです。ネガティブな思考に囚われることも少なくなりました。
来年はさらにポジティブに、当たって砕けろの精神で何事にもチャレンジして行きたいですね。

ご覧の皆様には大変お世話になり、ありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。

崩壊への足音・・

このブログの更新は久しぶりですね。皆様ご無沙汰しています。

僕がFacebook上で「てつのまちグループ」という、室蘭市を紹介するページ群を開設しているのは皆様御存知と思いますが、その中の「てつのまち写真館」で今年の3月から連載しているシリーズに「神社シリーズ」というものがあります。

てつのまち写真館で紹介する写真は9割以上が僕が自分で撮ったものですから、当然市内各地の神社を探して訪ね、お参りして写真に納める。そんなことを続けてきました。

その中で強く感じていることがあります。
表面上は大きな破綻もなく、ゆるやかに衰退を続けている室蘭市ですが、実は生活のすぐ近くでいろいろなかけがえの無いものが壊れ始めている、と。

室蘭市内には、まちの成り立ちから、人口の割にたくさんの神社があります。僕がこれまでにてつのまち写真館で紹介したものだけでもすでに23社を数えます。

神社はお祭りなどを通じて地域の住民が一体する要になるだけでなく、今のように町内会館などが整備される前には、地域の寄り合いや集会の場所だったり、発表の場所だったり、子供の遊び場だったりと、まさに地域コミュニティの中核、要でした。

そんな地域にとって無くてはならないはずの神社。しかし、僕が紹介した23社のうち、御祭神の分からない神社が半数近くあります。地域の方たちがどんな思いを託して神社をその地に建てたのか、その由来がわからないものがたくさんです。
そして、それを知っているはずの昔からの住人であるお年寄りが、次々と地方に住む子供さんたちを頼って室蘭から出て行ってしまっている。結果、神社のことを知る人がいなくなり、神社を管理する人もいなくなる。そして神社自体も無くなっていく。

僕が紹介した23社のうち、3社はすでに廃止された神社です。
未公開で、これから公開しようとしている神社の中にも2社、すでに廃止された神社があります。

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廃止されて藪になってしまった旧栄町神社

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廃止されて石段だけが残る旧本町神社

各地域に根ざした存在であったはずの神社。このまま無くしてしまっていいのでしょうか。

せめて僕は記録者として、今残されている神社を写真におさめ、保存していくことで、警鐘を鳴らして行きたいと思っています。

神社ほどではないにせよ、お寺も同様の危機を迎えていると思います。
来年はお寺シリーズの連載を考えています。

室蘭市立絵鞆小学校のこと

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北海道室蘭市にある、絵鞆小学校をご存知ですか?

現役校舎としては珍しくなった、円形校舎を2つ連ねた構造の校舎です。
今年度限りで閉校となる予定のこの校舎を後世に残したいということで、この度、同志の皆様と行動を起こしました。

円形校舎は、戦後すぐの、物資不足の時代に、
「狭い土地でも広く作れる」「資材を節約できる」などの特徴が注目されて、
全国で100例以上が建設されたそうですが、その多くが既に役目を終え、解体されたものや、山奥の廃村で廃校になったままのものが多くなってきています。

この円形校舎、もともとはこの絵鞆小学校のように、
手狭になったらどんどん円形校舎を増設していくことを考えて設計されているそうなのですが、
実際にこうして複数の円形校舎が結ばれた形で残っているのは珍しいのだそうです。

建物を所有する室蘭市は、すでにこの2棟のうち1棟の保存を決定し、
校舎周辺に存在している貝塚からの出土物や、
市内のすでに閉校した学校のゆかりのものを展示する場所としての活用を
打ち出しています。

問題はもう1棟です。この1棟をどうするかの結論が出ていません。
僕達は、このもう1棟も含め、2棟両方の保存を願っています。

なぜなら、先述したとおりこの絵鞆小学校は、
そもそもの円形校舎の設計思想を全うした稀有な例だからです。
2棟一緒に保存することで、この建物の歴史的建造物としての価値は最大限になります。

とは言え、これだけの建物ですから、維持するだけでも莫大な費用がかかります。
「歴史的価値があるから、残す」だけでは大義が立ちません。

そこで、この校舎の活用方法も一緒に皆様と考えて行ければと考えてます。

まずは、行政に「多くの人がこの建物の保存を願っている」ということを
知ってもらう必要があります。そのために、僕たちはWeb署名を用意しました。

もしも当ブログご覧の皆様でご賛同頂ける方がいたら、是非ご署名をお願いします。

宛先:室蘭市長 青山剛様 室蘭市教育長 山田進様 室蘭市教育委員長 西里弘二様 
絵鞆小学校の円形校舎を2棟共保存して下さい。

近所の「れきけん」

FBでとあるお友達から、「東京のれきけんリポートしてよ」と言われたので、
散歩がてら、近所のれきけんを撮影して来ました。

れきけん → 歴史的建造物のこと。

今回ご紹介するのは、大田区は洗足池の近くにある「鳳凰閣」です。

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ここは昭和8年(1933年)に建てられた建物で、もともとは清明文庫という名前だったそうです。
勝海舟の別邸「洗足軒」に源を発し、国民精神涵養の図書の収集閲覧、
また付属講堂での講座開催を目的に、清明会が開館したものだそうです。

昭和29年に所有者が変わり、現在の「鳳凰閣」に改称。
近年は幼稚園の園舎として使われていたものの、それも解消し
現在はもとの姿に戻されて、使用されてません。

建物はアールデコ形式だそうで、縦長の窓がレトロ感を感じさせますよね。
せっかく残してあるんですから、何らかの形で活用すればいいのにと思いますが、
耐震性の問題とかがあって難しいんでしょうね。

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建物は3階建てでしょうか? 一部2階建てみたいですね。
書庫として使われていた名残か、建屋後ろ側は窓が小さく作らせています。

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現在は柵に囲われて、一般の人は入ることができません。
もったいないなぁ。。

<参考>
デジカメ散策 大田区の史跡・歴史 - 鳳凰閣(旧清明文庫)
http://otaku.edo-jidai.com/107.html

大田区ホームページ 鳳凰閣(旧清明文庫)
http://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/rekishi/yukigaya_senzoku/hououkaku.html

僕は、室蘭が無くなるのを見たくない。

ここ2-3ヶ月ほど、ご縁があって地元室蘭市の市民活動系にいくつか関わる機会があった中で、強く感じていること。
この時代、人口が右肩上がりに増えていく状況は期待できない。まして、室蘭が半世紀後に100万都市になるかといえば、それはありえない。
でも、かといって衰退していくのを当たり前とは思いたくない。

人口が減ってもいい。室蘭らしく、室蘭気質がちゃんと引き継がれて、街として輝く存在であって欲しい。

今、多くの市民が「室蘭はもうダメだ」と思ってる。「室蘭にいいところなんて何もない。」「これからもっともっと悪くなっていく。」って。
だけど、逆説的だけど、市民のそういう後ろ向きな気持ちが、室蘭をどんどんダメにしているように思えて仕方ない。
例えば隣の伊達にしても、登別にしても、自分の街を「もうダメだ」と思ってる人は、割合としては少ないんじゃないかな、って思う。

室蘭はこのままいくと、数年後には両隣の2市と合併の道を歩んでしまうのではないかと思う。
そうなると、今の輝きのない状態の室蘭では、「室蘭」の名を残すことすらできないと思う。

僕は、室蘭が無くなるのを見たくない。

全国には、人口10万人以下でも、特色を活かして輝いてる街がたくさんある。
道内でも富良野なんかは2万5千人しかいない。
道外だと上杉鷹山の米沢藩で有名な米沢市が9万。
最近、外国人旅行客に大人気と言われている岐阜県高山市が同じく9万。
長州藩の本拠地だった山口県萩市が5万5千。

世界的に有名な都市も、意外に人口20-30万クラスの場所が結構あったりする。

大切なのは、人口ではなく、その街に「物語」があるかどうか。

モノ溢れの時代。全国どこにいっても規格品のチェーン店がひしめく現代。
旅行者が求めるのは、どこに行っても代わり映えしない土産物屋やドライブインではなく、
その土地にしかないもの。もっと言うと、その土地その土地の「物語」なんじゃないかと思う。

規格品のどこにでもある観光地は、もういらないのかもしれない。

そういう意味では、室蘭にはドラマがある。

明治8年。開拓使本庁が置かれた札幌と、
経済の中心函館を結ぶ「札幌本道」の中継地として、
室蘭にトキカラモイ桟橋が設けられた。

なんで道路なのに桟橋かと言えば、
静狩峠が険しすぎて当時の技術では道路が作れなかったから。
室蘭から内浦湾を渡って対岸の森町まで船が出ていたのだ。

やがて、鉄道開通とともに、夕張を始め空知の炭鉱地帯から石炭列車がやってきた。
石炭を積み込んだ船が次から次へと出入りし、室蘭港は急速に発展した。
その石炭が日本の明治・大正の工業化を支え、近代国家建設を支えた。

戦後は日本を代表する重工業都市として。
産業のコメといわれた鉄を生み出す街として。
日本の高度経済成長を支えた。

高度経済成長期には、全道から金の卵と呼ばれた高卒の若者たちが室蘭を目指した。

それが室蘭繁栄の歴史。

その後1980年代の鉄鋼不況により、市内の工場で大規模な合理化が断行され、
室蘭から多くの人が泣く泣く出て行った。東京へ。君津へ。大分へ。

最盛期18万人を数えた人口は、1990年台には10万人前後に。
そして2005年にはついに10万人を割った。

現在の室蘭市の人口は9万人。最盛期の半分。

空知の旧産炭地が軒並み10分の1以下まで縮小している中、
まだ半分で済んでいるだけ室蘭は運がいいとは思う。

室蘭の歴史は、こういう栄枯盛衰の歴史。

日本に都市は数あれど。これだけの激動の歴史を歩んでいる街はそう多くないと思う。
この歴史を物語る遺産が、長年の不景気で放置された結果とはいえ、室蘭には残ってる。
この街には、ドラマがある。この街には、物語がある。

是非、このドラマを。この物語を。多くの人に知ってもらいたい。
室蘭に残る産業遺産を、肌で感じて欲しい。

室蘭の市民がこの歴史を知り、この街に誇りを取り戻すことができたなら、
きっと室蘭は人口は減っても、まだまだ輝いて行けると思う。
まだまだ頑張って行けると思う。

そういう街に、室蘭を生まれ変わらせたいと思う。
なんとかしたい。周囲の市町村と合併させられて、わけの分からない地名に変えられる前に。
室蘭が、室蘭でなければならない理由を、復活させたい。

繰り返しになるけど、僕は、室蘭が室蘭でなくなるのを見たくない。

建物を大切に使うということ

僕が室蘭の歴史的建造物に興味を持ったきっかけは、中央町にある2つの建物です。

1つは、もう取り壊されて無くなってしまいました。旧室蘭商工信用組合本店です。
この建物は、実は商工信組になる前、富士銀行室蘭支店でした。
当時室蘭には北海道拓殖銀行と富士銀行、2つもの都市銀行の支店があったのです。

富士銀行撤退後、その建物はそのまま室蘭商工信組が本店として引き継ぎ、
そして室蘭商工信組が伊達信用金庫に吸収されたことで役目を終え、
ちょうど一年前の2013年1月に解体されてしまいました。

とは言え、商工信組が引き継いでから40年。
引き継いだ時点で何年くらい経ってたのかはわかりませんが、
少なくとも半世紀以上に渡り、1つの建物が大切に引き継がれ、
使われてきたことに感動を覚えたのです。

さて。今日語りたいのは、もう1つの建物です。
その建物は、現在「室蘭プリンスホテル」として使われている建物です。

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(右側の煉瓦色の建物です。左側は果物屋さんの丸十今井さん。)

古い室蘭の人なら、ここにかつて、丸井今井室蘭店があったことをご存知でしょう。
僕も子供の頃から、ここが丸井さんの跡地だということは知ってました。

そう。「跡地」だと思ってたんです。プリンスホテルは後から建てなおされた建物だと。

でも、事実は違いました。
この建物、実は丸井さんの建物を改装して今なお使っている建物なのです。

反対側から見ると、その姿が一目瞭然です。
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お分かりになりますか?
増築に増築を重ねて今の姿になっていることが。

分かりやすく線を追記してみました。
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ぱっと見で分かる建築年代の違いはこんな感じです。
AとBはもともとの丸井今井室蘭店の建物ですが、
それでもA部分とB部分では側面の窓の構造が全く違うのがお分かり頂けると思います。

C部分はおそらく、ホテルとして開業する際に増築された
最も新しい部分であろうと思われます。
やはり窓の構造がA部分、B部分と全く違うことがご覧いただけますよね。
一番最初の正面の写真をご覧頂くと、やはり2F/3F部分と比べて
4F部分が違っているのがお分かり頂けると思います。

ネット上で、中央町時代の丸井さんの外観図を見つけました。
逆側からの図ですが同じ建物であることがよくわかると思います。
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建物正面左側の避雷針なども、そのままですね。

ちなみにA部分ですが、手直しはされているものの、
恐らく昭和10年代の建物そのままなのでは・・と思います。
正面側の壁の意匠などもそのままのようですしね。

B部分は昭和30年代の改装で増築されたものでしょうね。

それぞれの写真は、以下リンク先のブログで紹介されてますので、
是非ご覧になってみて下さい。

室蘭近郊の情報BLOG – 昔の丸井今井(2011年10月04日)

ここまで御覧頂いたように、この建物、綺麗に化粧直しされてて、
普段利用していると、一部が80年近く前に建てられたものとは思えないのですが、
事実大部分が50年以上前、一部は80年近く前に建てられたものが
有効活用されているのです。

こういう建物を見るとき、昔の人がいかに建物を大切にしていたかを痛切に感じるのです。

とくに昨年末より、室蘭市中央地区で多くの建物が取り壊されています。
室蘭産業会館、北海道新聞室蘭支社、室蘭信用金庫本店。
どれも、このプリンスホテルと同年代か、もっともっと新しい建物です。
室蘭の歴史を目撃してきた生き証人です。

なんとか生まれ変わらせて、使い続ける道は無かったのかと思うと、
本当に心が痛いです。

まだまだ使えるのに、人間の都合で使い捨てにされた建物たちに
哀悼の意を表したいと思います。

八丁平飛行場の痕跡を求めて

先の大戦末期、室蘭にも陸軍の飛行場がありました。
場所は室蘭市八丁平。しかし、結局1機も飛行機が飛び立つことなく破壊され、終戦を迎えたと歴史には記されています。

戦後70年近く経ちますが、その痕跡がどこかに残ってないかと思って探してみました。

最初にGoogleマップであたりをつけます。
八丁平の区画を決める上で、恐らく基線になっているのは八丁平中央通。バスも通るメインストリートですね。
これに対して、主に東側に不自然な区割りになっている区画があります。
このあたりから線を引き、西側のこのあたりまでが、どうも飛行場のあった場所のようです。
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このあたりは、自動車学校を作れるくらいに平らな地形で、住宅地になっているあたりも異様に平らです。
自動車学校から北東に走る道路を実際に走ってみましたが、ここは不自然に直線的な斜面が続いています。
東京に帰ってきた後、国土地理院の地図サービスで見たら、間違いなく道路に沿って斜面が続いています。
そして、飛行場の跡と推定している赤枠の中はほぼ平らであることがわかります。

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逆に、この赤枠の外は、山の地形らしく、結構な起伏が見られます。

最後に、A地点にある八丁平1号公園の写真です。

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画面奥に不自然に直線的な斜面があり、
手前側が平らになっているのがお分かり頂けると思います。

どうもこの場所が、かつての八丁平飛行場の跡地と見て間違いなさそうです。
来春、もう少し気候が良くなったら、歩いてもう一度現地を調査してみたいと思います。