善は急げということで、聖地巡礼の旅、開始です。
第一回は、近場からということで東京からです。
この日訪ねたのは、新宿区中町の宮城道雄記念館と、
谷中墓地にある宮城宗家の墓所です。
最初に訪れたのは、宮城道雄記念館。
南北線を飯田橋駅で降り、神楽坂を登って途中で左に折れ、住宅街を進みます。
本当に、「この道でいいんだろうか?」と不安になるほど、閑静な住宅街が続きますが・・
辺りを見回すと、記念館の看板が出ています。
そして5分ほど歩くと、遠くに記念館が見えてきます。
本当に、住宅街に突然ひょっこり現れる感じで驚かされます。
ここはもともと、宮城道雄先生のご自宅のあった場所で、
歴代の宮城宗家がお住まいになり、門下の指導にあたった場所です。
記念館の地下には大広間と講堂があり、宗家の教場・お稽古場になってます。
箏曲宮城社の宗家主催講習会や試験なども、全てここで行われます。
箏曲宮城会の本部もここにあり、宮城社一門の本部機能が集約されているのが
この場所というわけですね。
宮城社の一門に属する者にとっては、聖地と言っても過言ではない場所です。
そして地上部分は宮城道雄先生の業績を顕彰する資料館になっており、
毎週水・木・金・土の4日間一般向けに公開されています。
実は僕も、宗家の講習や教師試験で何度か訪れたことがあるのですが、
残念ながらいずれも日曜日の休館日で、展示室をちゃんと見学するのは
これが初めてでした。
なお、内部は撮影禁止になってましたので、ここからは拙い文章ですが、
文にてご紹介いたします。
入場料400円を支払うと、中に案内されます。
入ってすぐの場所は高い吹き抜けになっており、正面に第二展示室。
そのドアの上には、高さ数メートルはあろうかという、
巨大な宮城道雄先生のお写真が飾られています。
もう、圧倒的とも言うべき存在感です。
その近くには、一回り小さいですが、ご夫人の貞子先生、
後継者であった姪の喜代子先生、数江先生と、
歴代のご宗家の写真が寄り添うように飾られています。
歴代ご宗家のお写真に深く一礼した後、まずは右側にある第一展示室へ。
ここには宮城道雄先生の足跡が、演奏家として、教授者として、作曲家として、等、
様々な角度から解説されていました。
資料も、例えば先生が師匠の二代中島検校に入門した時の誓約書や免状、
演奏会のプログラムや出版物、楽譜、点字楽譜や随筆の原稿など、
第一級の貴重な資料が展示されています。
さらに目を引くのが、先生がお使いになった楽器の数々。
有名なお箏の名器「越天楽」の実物や、八十絃の復元品の他にも、
先生が越天楽の前に愛用されていた「第一箏」や、普段お使いだった三絃、
胡弓や尺八、短箏や十七絃などが、全て保存されています。
残念なことは、これらは全て楽器としての命は失っており、
展示品になってしまっていることですね。
絃もまともに締められておらず、三絃は合成皮革と思しき皮が張られ、
80絃も実際に使える状態とは見えませんでした。
せっかく、宮城社の本部にある、先生遺愛の楽器なのに、
なんとももったいないことのように思いました。
一角には、楽器以外の、先生が実際に使われた日用品やカバン、
杖なども展示されています。
僕が驚いたのは、「八重崎検校の杖と伝えられている」杖がここにあったことです。
どなたかが入手して先生に贈られたそうですが、なんとも不思議な感じがいたしました。
展示室自体は大きなものではありませんが、説明の文章も充実しており、
何よりそこにあるものがまさに先生がお使いになったものというリアリティを考えると、
非常に貴重な展示室と言えると思います。
僕は結局1時間近くをここで過ごしました。
第一展示室を見終わると、先に外の検校の間を見に行くことにしました。
ロビーから外に出ると、細い通路が記念館の裏に通じています。
その先にある小さな日本建築が、先生が晩年を過ごした書斎「検校の間」です。
写真等で見るよりも、随分と小さく感じられましたが、
お庭に面したそのお座敷はとても静かで安らぎに満ちており、
まるで先生が今なおそこにいらっしゃるようにも感じました。
検校の間自体を撮影するのはなんとなく憚られたため、
お庭だけを撮影させて頂きました。お庭には先生の胸像が置かれています。
都内とは思えないほど静かで、清浄な空気に満ちた場所でした。
お庭でのひとときを楽しんだ後は、記念館に戻り、第二展示室へ。
ここではCDやDVDの鑑賞ができるお部屋です。
ここで「春の海」と「瀬音」のDVDを鑑賞して、時間切れ。
名残惜しいながら、記念館を後にしました。
次の訪問先は、谷中の墓地です。
飯田橋駅から中央線で秋葉原駅まで行き、そこから山手線で日暮里へ。
そこから谷中の墓地へとやってきました。
場所は聞いていたものの・・ 区画が番号通りに並んでおらず(^^;
15分ほど迷って、ようやく目的地に辿り着きました。
僕の先生の先生、いわゆる親師匠が道雄先生直門でしたから、
「◯◯(親師匠)の孫弟子に当たる者です。」と自己紹介してご挨拶申し上げました。
親師匠も、うちの先生が亡くなられる2日前に亡くなられてましたから、
きっとお浄土で道雄先生に再会されていると思います。
不肖ながら、宮城社の一門の末端にいる者として、
邦楽とくに宮城箏曲の発展普及に全力を尽くす旨、お誓いを申し上げてきました。
この後も迷いそうになりながら、ようやく谷中墓地を抜け、
この日の巡礼の旅は終了と相成りました。
記念館の展示物も。谷中の墓所も。本やネットの情報で知識としては持ってましたが、
実際訪れたことで、その場の雰囲気というか、空気感というか、
リアリティを感じることができました。
次回はどこにしようかな。。
巡礼の旅はまだ始まったばかりです。