新しい相棒

実家との行き来が多い僕ですので、昔からメインのデスクトップPCの他にノートPCを使ってるんですが、
2年ほど前から使ってるノートPCがいい加減不調なので、今回思い切って新調しました。

前に使ってたのはSONYのVAIO Xシリーズ。
どうせWebブラウジングとメールチェック程度と割りきって、ネットブックに毛の生えた程度で、とにかく軽さ重視で選んだモデルでした。確か900g無かったはず。

これが性能軽視しすぎてた。。(^^;
Webブラウジングというか、Facebookに書き込むのですら一苦労。タイピングに画面表示が追いつかない。(^^; さっと出してさっと使う、という僕のニーズには合致しないものになってました。

という大失敗もあり、今回の機種選定はかなり新調にやりました。

実は昨年から仕事で使ってるLenovoのThinkPadが非常に気に入っていて、次はThinkPadにしようかなーと、漠然と考えてたところ、「ThinkPadブランドのウルトラブック発表」のニュース。

当初はt430uというモデルが出る予定だったんですが、これが結局国内発売無しになって、
国内で発売されたのは、X1 Carbonというモデルでした。

このモデル、1.3kgという重さは決して軽くありませんが、この筐体に14インチモニタを備え、しかもCore i5やi7を選択可。ウルトラブックなので起動時間短縮のテクノロジや、スリープからの高速復帰等の機能もついてます。

何より、ThinkPadとして発売するというのは、特別な意味を持つそうで。ThinkPadのブランドを汚さない、ThinkPad基準にちゃんと合致した製品として開発されたとのこと。
かの有名な大和研究所が総力を挙げて開発したとの情報。

もう、次の僕のノートはコレしかないと思えました。

国内発売の発表が6月。そして販売開始の発表が8月29日。
その前後に早々に注文を入れて、まだかまだかと首を長くして待ってたのですが、
今月の20日にようやく届きました。

箱のサイズはやや小さく感じますけど。。

開けてみると上段にはドキュメントとACアダプタ。
そしてACアダプタは独自形状のプラグになっています。

そして箱の下段には、いよいよ本体が。


ここで感じます。
「あれ? 以外にデカい。」と。


件の仕事PCとか、前の個人ノートと並べてみても一回りデカい筺体です。
でも、最薄部は前の個人ノートとほぼ同等。

仕事PCと比べれば、最薄部は半分程度の薄さです。

これで変なでっぱりもなく、スマートな外見なので、まぁ良いでしょう。
次に外周をぐるっと見てみます。

まず右側面。SDカードスロットとヘッドセットジャック、ディスプレイポートとUSBポートです。

次に背面。中央やや左寄りのカバーはSIMカードスロットでした。
ですが、国内使用のX1 CarbonはWWAN機能が乗ってないので、まぁ意味無しスロットですな。

次は左側面。
電源コネクタと排気口、USBと無線スイッチがあります。

そして正面。カバーを開いたところです。
ここにはコネクタ類は無し。やたらとデカいタッチパッドと指紋センサ、6段キーボードと、ThinkPadの証「トラックポイント」が鎮座しています。
キーボードはバックライト内蔵で、Fn+Spaceで点灯できます。

やたらデカいタッチパッドは、Windows8対策のようです。マルチタッチ対応らしく、表面はガラス製で、すりガラス加工が施されています。

ディスプレイは1600×900の高解像度なので、使ってて「狭い」と感じることはほとんどありません。

問題のキーボードの打鍵感ですが、非常に自然で打ちやすく、まさに探し求めていたタッチでした。
前のVAIOはキーストロークが浅すぎて、突き指しそうな不快感があったのですが、このマシンにはそれが一切ありません。長時間文章入力しても全く疲れないと思います。

とりあえず持って歩いてみてどうか、のところが重要なので、またレポートしますね。

そして、日常へと還る。

(写真は全て、クリックすると拡大します)

礼文島で迎えた4日目の朝。
もちろん朝5時に起きて、朝風呂行って来ましたよ! 温泉地で朝風呂に入らないとか、ありえない。(笑)

部屋に戻ると、利尻富士がきれいに見えてたので、思わずパシャリ。

このお山、たいそう気まぐれで、なかなかお顔を見せてくれなかったんですが、
帰り際にようやく見せてくれました。

6時半から食事。その後8時にホテルの送迎バスでホテルを出発。
8:40発のフェリーで帰路につきます。帰りの船はフィルイーズ宗谷。

ハートランドフェリーは昔、東日本海フェリーと言いました。
室蘭や苫小牧を拠点に本州航路を運行していた東日本フェリーの関連会社だったんですよね。
船のカラーリングもほぼ同一で、東日本フェリーはイルカのエンブレムが、東日本海フェリーはカモメのエンブレムが船腹に描かれてました。

そんな中、東日本フェリーが経営破綻・倒産してしまい、東日本海フェリーは社名変更・ブランドイメージ変更を経て今のハートランドフェリーになってるわけです。

このフィルイーズ宗谷は、東日本海フェリー時代からの船のようで、よく見るとカモメのエンブレムの跡が見て取れました。

帰りの船では二等室を取ったので、小上がりになってる大部屋でごろごろして過ごしてるうちに、稚内に到着。

稚内港に着いたものの、空港行きのバスの時間は13時10分。2時間ほど時間があります。
なので、稚内港の漁港区にある「副港市場」に行ってみました。

中は最近流行りの昭和レトロな感じ。

  

その一角に、稚泊航路についての解説・資料があったので、じっくり読んでみました。
今でこそ地の果ての稚内ですが、戦前のここは、樺太というニューフロンティアへの玄関口でした。
当時の賑わいたるや、今の比ではなかったに違いありません。

そんな往時を偲んでいると、時間は11時半。そろそろお昼にしてもいい頃です。
副港市場の中にある食堂で、思い切って3色丼を頼んでみました。

食堂のお兄さんによると、一番人気なんだとか。見た目にも派手ですもんね。
カニは少々水っぽく、イクラはしょっぱかったですが、うには一切エグ味のない旨味だけの味! 最高でした。
聞いたところによると、ウニの時期はそろそろ終わりだそうで。やはり、いいタイミングで来たのかもな、と感じました。

お腹もふくれたところで、またのんびり歩いてフェリーターミナルまで戻り、そこで少々時間を潰して、13:10のバスで空港へ。
その後、稚内14:25発のANA574便で東京に戻って来ました。

今回のこの一人旅。いくつか肝に命じてたことがあります。
・急がない。慌てない。無理な予定を立てない。
・ケチらない。財布の口を閉じない。

主にこの2つですね。
1つ目は、交通手段と宿泊先は決めてましたが、それ以外は原則ノープランでした。
まぁ、2日目のレンタカーと3日目の4時間コースは決めてましたけど、決めていたとは言え、状況に応じて臨機応変に変える準備はしてました。

2つ目は、特に「観光客価格」「観光客向け」を毛嫌いしない、というのを気をつけました。そもそも観光客ですし、限られた時間、限られた行動範囲でそれなりのモノを得ようと思ったら、観光客向けのサービスを利用する方が、当たり外れも少なく確実です。
・・・当たりも少ないですが、ハズレを回避するのが大切かな、と。

お陰で、充実した楽しい旅となりました。
また、ふらっとどこかに一人旅に出かけたいと思います。

拙い文章でしたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。

僕が囚われていたモノ。

(写真は全て、クリックすると拡大します)

道は海辺の平坦な道を進みます。
道端には、あちこちにすすきが生え、秋の雰囲気が漂います。

やがて道は踏みつけ道から砂利道になり、そして舗装道路へ。
その先に小さな集落がありました。

鉄府というらしいその集落は、鮑古丹と違い、ちゃんと定住する人たちがいました。
人の住む場所ですから、こんな住人も。(笑

声をかけても、眠そうな目でこちらを見返すばかり。

塀の上ではカラスまで休んでいる始末。(^^;
なんとものどかな漁村のひとときでした。

集落を抜けると、港を右手に見ながら、再び道なき道を登山です。

のこぎりのような岩肌に、相変わらず信じられない透明度の海です。


道は急勾配で続き、ふと気づいて振り返れば、これまで歩いてきたゴロタ岬から鉄府の入江にかけてが一望できました。

道はしばらく尾根伝いに続き、次の入江に向かって下っていきます。

 

そしてたどり着く集落が西上泊です。
ここには立派な道路が通じており、大型バスが止まれる駐車場と売店、トイレが整備されてます。
なぜなら、ここには礼文島西海岸有数の名所、「澄海湾」があるからなんですね。

その澄海湾がこれです。

天気が良ければ、澄みきったエメラルド色の海が見られることでしょう。

さて。ここ西上泊の集落から先は道が分岐しています。
さらに海岸沿いに南下していく8時間コースと、船泊方面に戻るルートですね。
この時点で時刻は15時を回ってます。

ここから内陸方面に進路をとり、船泊方面を目指すことにしました。
道は立派な2車線の舗装道路。時たま大型バスが通りぬけます。

恐らくツアーとかだと、スコトン岬とここ澄海岬だけを回って、香深方面に戻っていくのでしょう。
4時間コースを踏破しつつある僕から見れば、なんと勿体無い見方なのだろうと思います。
わざわざこの最果ての島まで来ていながら、たったそれだけしか見られないなんて。感じられないなんて。

沿道には小さな花がいろいろと咲いてます。そして道を一歩外れれば、あとは人工物の一切ない草原です。

 
 

人間なんてものが、いかにちっぽけな存在か、肌で実感できる光景です。
人間もまた、自然のごくごく一部に過ぎないんだって、わかります。

そう感じた時に、ここ1ヶ月ほど僕が囚われてた歪んだ自尊心とか、虚栄心とか、こだわりとか、そういうものがいかにくだらないものだったかが分かった気がしました。

僕はこの大地で生まれ育った道産子です。
この大地の欠くべからざる一部です。
この大地に生きる一つの命です。

それ以上、何を求めるというのでしょう。何が欲しいというのでしょう。

つまらないことにこだわるのはやめよう。
この大地に生まれた者として恥ずかしくない生き方をしよう。
そう改めて心に決めました。

そんなことを考えるとはなしに考えつつ歩いていたら、気づいたら浜中の集落に出ました。
夏ダイヤであれば、16時台のバスがここ浜中のバス停に停車するんですが、もはや秋冬ダイヤになってしまっているバスは、ここからさらに20分ほど歩いたところにある、船泊の病院前のバス停までしか来ません。

なので、もうひと踏ん張り。病院前のバス停から香深行きのバスに乗り、香深に戻りました。

香深に戻ったら、早速ホテルにチェックイン。
お部屋はツインの部屋を独り占めでした。この日は温泉にゆっくり浸かり、早々に寝ることにしました。
<つづく>

道なき道をゆく

(写真は全て、クリックすると拡大します)

<4時間コース 行程表>

さて、スコトン岬を出た僕は、スタスタともときた道を戻っていきます。
途中の高台に、水難犠牲者慰霊碑なるものがあったので、軽く手を合わせて、お許しを頂いてから周辺で写真撮影。

眼下には船泊湾。その向こうに利尻富士という光景です。
辺りは木一本生えておらず、地べたに這うようにして草原が続きます。

そんな草原を突っ切るように道路は続きます。

少し歩くと、右手に鮮やかなブルーの建物が見えてきました。
見ると、すでに廃校になった学校のようで、須古頓小学校との記述があります。

スコトンって、須古頓って書くんですね。まぁどうせ当て字ですけど。
調べてみたところ、スコトンとは「夏の集落」を意味するそうです。「コトン」は「コタン」が訛ったものなんですね。

やがて道は船泊方面に行く道から離れます。
分岐してすぐのところに小さな神社があったので、また軽くお参りをして、先に進みます。
須古頓神社というそうです。

余程遠回りになるなら、遥拝にさせてもらいますけど、道沿いにあるお社ならちゃんとお参りします。
この土地を散策し、楽しませていただくのですから、地主神様にご挨拶申し上げるのは当然でしょう。

神社から少し行くと、海の方に降りていく道と、山を登っていく道に分かれます。
ガイドを見ると、海の方の道は「車両は通行止め」と書かれてます。ということは、歩行者ならいけるのだろうと海側のルートを選択。

眼下にはキレイな入江が広がります。
ここは鮑古丹と呼ばれる土地です。アイヌ語っぽい響きですけど、「アワビ」は日本語ですので、後から和人が付けた地名なのでしょうかね。

この辺りの海も恐ろしいほどの透明度です。

道沿いにはススキが群生し、景色に彩りを与えてます。
鮑古丹には、定住している人はいない様子でした。漁師さんの番屋のような建物が数件あるだけの寂しい入江。

そしてここにも小さな神社、鮑古丹神社があったので、軽くお参りして行きました。
しかし、神社は和人が集落の守り神として持ち込んだものでしょう。
そして集落から人影が消え、神社だけが取り残されている。

人々が去り、神社だけが置いてけぼりになってるのだとしたら、なんとも切ない景色ですね。。

神社の脇を抜け、道を登っていくと、先ほど山に向かって分かれた舗装道路が合流。

かと思ったらあっと言う間に舗装道路は終わり、ただの踏みつけ道が続きます。

 

朝まで降ってた雨の影響もあって、ところどころぬかるみがあり、足元が非常に滑りやすくなっていて難儀します。
そして傾斜も結構あり、さながら登山の様相を呈してきます。

そしてスコトン岬を出てから70分ほどかけて、ようやくゴロタ岬に到着。
ここは標高が176mもあるそうで。。そりゃ大変なわけだ。(^^;
ですが、ここからの眺望はちょっと他では味わえません。

北にはスコトン岬と海驢島。

東に目をやれば船泊湾。

南に目をやれば利尻富士。

西はただひたすら続く日本海。

文字通り360度の眺望が楽しめます。
ここは本当にオススメです。

ですが・・・
登ってきたということは、同じだけ下らなければならないわけでして。
笹薮をかきわけて、道なき道をたどります。

 

 

なんせ傾斜がきつい上に、ぬかるんだ地面が滑ります。本当にきつい。
それでも僕は子供の頃から、両親に連れられて山菜採りとかで山歩きはしてきましたし、
実家の近所の山を遊び場にしてた時期もありますから、山歩きの心得は多少はあります。

足場が悪い時は、一歩踏み出した足にいきなり全体重をかけることはせず、まずは足場の状態を十分確認し、体重を支える強度があることを確認してから踏み出す。
必ず左右の足のどちらかは常に、信頼できる足場を確保している状態にする。
それがかなわない時には、草や笹など、掴まるものを確保する。

ここに来て、軍手を持って来なかったことを悔やみます。まぁ遅いんですけど。
幸い草で手を切ることもなく、無事斜面を下って行きます。

すると、少しずつ道も平坦になり、クルマが通れそうな幅になってきます。
海辺は、大きめの丸い石が無数に転がる海岸です。

 

ここまで来ると、天気もだいぶ回復して、薄日が差してきました。
<つづく>

 

島の北部へ

(写真は全て、クリックすると拡大します)

船という乗り物は一種、独特の何かがあると思う。
普段乗らない乗り物っていうのも、もちろんあるんだけど。ひと度海に漕ぎ出せば、自由な世界が広がっている。そんな気持ちにさせてくれる。

そんな不思議な気持ちで水平線を眺めていると、あっという間に時間も過ぎ、9:10に利尻島の鴛泊港に到着。

いざ近づいてみると、意外と大きな島でびっくりしました。
鴛泊港には20分ほど停泊し、再び礼文島に向けて出港。

近くから利尻島を見てると、明らかに火山性の地形だなというのが見て取れます。

そして、ここからなら礼文島は目と鼻の先。

10:10に礼文島の南部にある香深港に船は着岸。
いよいよ憧れの礼文島に到着です。

船を降りる準備をしていると、後部甲板で視界の隅をよぎるものが・・
よく見るとカラスが乗船してました。(笑)

船を降り、フェリーターミナルで今後の計画を練る。

ここで迷った選択肢は2つ。
1つ目は、当初の心づもりの通り、最北端のスコトン岬まで行き、そこから4時間コースと呼ばれる散策コースを歩くこと。
2つ目は、ここ香深港を起点に桃岩コースと呼ばれる散策コースを歩くこと。

4時間コースの方は、スコトン岬まで行くのに1時間ちょいかかるので、お昼が半端になる。
しかもスタートが1時間後になるので、天気が心配。

桃岩コースの場合はすぐ出れば、ゴール地点の知床って集落にはちょうどお昼ごろに着く見込み。
そこで天候を見て、崩れていればバスで香深に戻ってくるってオプションも取れる。
天気が良ければ歩いて香深に戻ってもいいわけだし。

というわけで、安全性から言うと桃岩コースに軍配が上がるんだけど、
今回の旅は、「人の手の届かない場所を目指す」っていうのがひとつのテーマだったりするし、
どうせなら島の北部を見て回りたいって気持ちが強かったのです。

幸い、3Gの携帯電波は入っていたので、スマートフォンでピンポイント天気予報を呼び出して、真剣に検討。
結果、なんとか天気は保ちそうと判断。

北部への交通手段は10:50フェリーターミナル発のバスに乗ればOK。
あとはお昼ごはんをどうするか。

4時間コースを回るとすると、バスの終点であるスコトン岬には売店程度しかない。
そして散策コースの沿道にはごはんを食べるような場所はなさそうなのは確認済み。

困ったなー、とフェリーターミナル内をうろうろしてると、2Fの食堂で「おにぎり」のテイクアウトができるという張り紙を発見!

もうこれしかない! ということで、食堂に行って、しゃけと塩うにのおにぎり1個ずつ握ってもらって、食料調達完了!(笑)

無事補給を済ませた僕は、10:50発のバスで北部に向けて出発しました。

ちなみにこの4時間コース、登山並の装備が必要という情報があったので、鞄の中にはレインコートとパーカー1枚、あとは万一の非常食料としてカロリーメイト2本パック3個とミネラルウォーター500ml×2本を準備して行きました。

この装備、使うことはありませんでしたが、行程から考えると決して大げさでなかったことは、はっきりと記しておきたいと思います。
むしろ、これに応急処置用の消毒薬と絆創膏、テーピング用のテープくらいは必要だったかもしれません。そのくらいに険しい道のりでした。

閑話休題。

香深の集落を出たバスは、礼文島の東海岸沿いを北部に向けて走ります。
道路は大型バスがかろうじてすれ違える広さしかありません。
崖っぷちの道沿いに、ときどき思い出したように小さな集落が続きます。

海の向こうには利尻富士が見えてます。

バスは順調に進み、北東の岬「金田の岬」を過ぎた辺りで運転手さんが教えてくれました。
「お客さんたち、あそこにアザラシがいるよ。」
慌ててカメラを向けたら、確かに沖合の岩礁でゆったりと休むアザラシの姿が。

やがてバスは北部の中心集落「船泊」の街を抜け、12時頃に礼文島最北端のスコトン岬に到着。
僕はうっかり千円札を切らしてしまってので、バスの運ちゃんに待ってもらって、岬の売店で万券を崩し、無事支払い完了。

ただ両替して下さいじゃ悪いので、ここで昆布ソフトなるものを買いました。
少し塩気のする淡い緑色のソフトクリーム。昆布の風味はあまりしませんでしたが、美味でした。

天気はイマイチですが、海の透明度が恐ろしく高いのがお分かり頂けますでしょうか。

ここからが、僕の礼文島観光のメインイベント、4時間コースのスタートです。
(つづく)

最果ての、その先へ

(写真は全て、クリックすると拡大します)

朝は5時に起きて朝風呂に入り、6時半にはホテルをチェックアウトして朝の街に歩き出す。
稚内という街は、三方を海に囲まれているせいか、街のどこに行っても追いかけてくるように潮の香りがする。
その香りがなんとも心地よく、そして気持ちいい。

JR稚内駅の前で、前日は気づかなかったモニュメントを見つけた。

線路はここで終わり。
かつてはここから先の北防波堤ドームまで線路は続き、人々をフロンティアの地・南樺太へと誘っていた。

かつて線路だった場所を渡り、岸壁に出ると、左手にはその北防波堤ドームが。
そして右手にはこれから向かうフェリー埠頭が見えた。

 

7時前にフェリー埠頭に到着。乗船手続きをして待つ。
行き先は礼文島。稚内の北西に浮かぶ2つの島のうちの1つだ。

今回、2つの島のうち礼文島を選んだのには、いくつか理由がある。
一つは、交通の便が悪いこと。
島内にある空港は、もう何年も定期便が飛んでおらず、礼文島に行くには海路を使うしかない。
もう一方の利尻島なら、新千歳空港から飛行機が出ている。

つまり、礼文島に行くには時間がかかる。一大決心が無いと行くのが難しい。

これに関連してだが、観光客が少ないだろうことも、選んだ理由の一つ。
大型バスがひっきりなしに走り、団体旅行の人たちがうろうろしてるところにはあまり行きたくない。

さらに、礼文島の方が、開発が進んでない印象があった。
昨日も書いたが、僕の旅は基本的に人の手の及んでない景色を求めてる。

7:30発 利尻島鴛泊港を経由して礼文島香深港に向かう船に乗り込む。

 

乗った船はサイプリア宗谷。全長100m級、3000トンクラスのカーフェリーだ。
決して大きな船ではないが、この日は波がおだやかで、ほとんど揺れは感じなかった。

 

船内をうろうろしてるうちに出港の時間。
船は少しずつ岸壁を離れ、速度を上げ、港を出ようと進む。
意外にスピードが出てる。

 

 

港を出ると、しばらく右手に宗谷丘陵、左手にノシャップ岬を望みつつ進む。

 

最初の写真、天気が悪くてよく見えてないのだが、丘の上に柱状のものが大量にあるのがわかるだろうか。
宗谷丘陵も今や風力発電用の風車で埋め尽くされていた。

稚内は自然エネルギーの普及に力を入れているそうで、市内いたるところに風車が設置されている。
さながら、「風車の街」と呼んでも良さそうなほどの数。

確かに遮る木も少なく、高い山もなく、海風がもろに当たる稚内周辺の丘陵地帯は風力発電に最適だろう。

似たような条件である僕の郷里室蘭でも、どうせならこのくらい思い切ってたくさんの風車を建て、
逆にそれを観光資源にするくらいのたくましさが欲しいな、とふと思った。

やがてノシャップ岬を回った船は、一路利尻島へ、そしてその先にある礼文島に向けて速度を上げた。
(つづく)

 

Intermezzo:旅の意味

ここまで写真と行程を並べることで精一杯だったので、ここで一度この旅を振り返ってみたいと思う。
まぁ、旅の意味なんて、所詮は後付けの理屈でしかないわけで。
旅をしようと思った時も、旅してる間も、その意味なんて考えたこともないけど。

むしろ、意味も意義も求めないのが今回の旅のテーマだったりもしたんだけど。
旅を終えた今、旅して得たものを僕なりにまとめておきたいと思う。

先を急ぐ方、写真だけ見たい方はこの記事飛ばして次の記事見て下さい。

「何があったっけ? まっ、魚介類は美味いよな… 後は牛乳とか??」
「何もないのがいいんだよ! ごみごみした都会に疲れた心が癒されるのを感じるわ。(笑)」

これ、実は稚内駅に着いた時にFaceBookで交わされたやりとり。相手は同じ北海道出身の同期。

やはり旅行って普通は、美味しいものや観光地を求めて行くものなのかな?
って考えると、今回の僕の一人旅は普通ではないことになる。

今回の、というよりも、いつも、かもしれない。
僕は基本的に人のいない方へ向かう。そして、人工物の無い景色を求める。
人も、人工物も、見飽きた。

なんのことはない他愛もないやりとりだったけど、このやりとりの中に、僕の今回の旅の目的があったのかもしれない。

僕は都会での生活に疲れていたのかもしれない。
旅を終えて今気づくことは、旅する前の僕は、あまりにもぎすぎすして、それでなくともちっぽけな僕が、ますます小さく小さく、小さなこだわりで固まりきってたと感じる。

人間は、人間と、人間が創り出したものだけに囲まれて生きていると、良くないと思う。
人間だけが全てだと。人間が世界の中心で、人間が世界の全てなんだと錯覚する。
特段そうと認識してなくても、これはもう無意識下にそう思い込んでる。

その結果が、昨今ニュースを賑わせてる「野生動物に名前を付ける行為」や「自然を全て観光地、つまり人間に娯楽を提供するものでしかないと認識する」ことに繋がる。

それが自然保護を叫びつつ自然を自分たちの都合のいいように改変する行為へとつながっていく。

人間が、世界の中心だと思い込むことの危険性。
その事は僕だって十分認識してたはずなのに。いつの間にか自分がそうなってたかもしれない。
そのことに気づいただけで、この旅には大きな意義があったと思う。

2日目にレンタカーを借りて、何もない景色を求めてサロベツ原野を走り抜けたのは、
実はそんな自分への反動だったのかもしれない、と思う。

実は何もないというのがそもそも人間の傲慢で、海もあれば、川もある。山もある。すべてのものがある。
人工物は、ほとんどない。当たり前だ。人間は自然の中のごくごく一部のちっぽけな存在なのだから。

そして3日目。
紀行文はこれからだけど。さらに人間の小ささと、大地の大きさを感じることになりました。
同時に、自分はこの大地で生まれ、育った、この大地に属する道産子なんだって原点を取り戻しました。

人間同士の競い合いや諍いなど、ちっぽけなものです。
人間の創りだしたものなど、全ては所詮ひとときの虚構。
そんなものにいちいち心乱される必要はない。と気づきました。

長文失礼しました。
紀行文の続きは、今晩にでも書きますね。お待ちください。

最果ての地・散策

(写真は全て、クリックで拡大します。)

一応、稚内に着いてからのプランは決めていた。
とは言っても、レンタカー予約してあるだけ。なので、まずは車を受け取りにトヨタレンタカーへ。

今日の一日愛車に選ばれたのは、トヨタのパッソ。

エンジンの非力さが気になったが、まぁ借り物のクルマでガンガン飛ばす気もないし、
今回はまったり景色を楽しむのが主目的なので、そもそも飛ばすんじゃ意味がない。なのでノープロブレム。

まずは稚内市街の北西にあるノシャップ岬へ。
宗谷岬と違ってここはそれほど観光地化されておらず、静かな岬だ。

 

近くの丘には自衛隊のレーダー基地がある。
ここのレーダーサイトは、1983年の大韓航空機撃墜事件の際に撃墜を確認した場所として有名。

空を見上げると、風神雷神でも現れそうな空模様。(^^;
まぁ、でもそんなこと気にしても仕方ないので、のんびりマイペースでドライブ開始。

ノシャップ岬から日本海側に周り、ゆっくり南下する。
時折集落があるが、基本的に沿道には何もない。

暫く走ってると、進行方向のずっと先に妙なものの影が見える。
距離的に考えてかなりの大きさの人工物なんだけど、どうもゆらゆら動いてるようで・・

近づいてみたら、風力発電用の風車でした。

しかもその数、数十。

風力発電の風車なら都内でも湾岸に何箇所かあるし、室蘭にも数カ所あります。
だけど、さすがに一箇所にこれだけ集まってると圧巻ですね!

天塩の市街地に入る前に内陸へ進路を取り、サロベツ原野を横切って幌延町に抜け、そこから40号線に出て、豊富町へ。

ここで2つの選択肢を用意してました。
一つ目は、豊富町の豊富温泉に寄り、1時間ほど温泉に入ってのんびりしてから稚内に戻るパターン。
もう一つは、さっさと通過して稚内に戻り、そのまま宗谷岬を目指すパターン。

温泉は、今晩泊まる予定のホテルが天然温泉付きなので、今回は宗谷岬を目指すことにしました。
今回行って置かないと、次またいつ来れるかわからないので。

なので豊富町から豊富バイパスを利用し、さっさと稚内へ戻る。
ちなみにこの豊富バイパス、将来稚内まで延伸される予定の北海道縦貫自動車道の一部を先行開通させたもので、暫定無料供用されています。
とは言え、こんな地域に高速道路規格の道路作られてもねぇ・・という感じもありますが。。

稚内に戻り、宗谷湾にぶつかると進路を北東に取り、一路宗谷岬へ。

 

宗谷岬は中学生の頃に家族旅行で来たことがあるので、ほぼ10年ぶり、3回目の来訪となります。
天候もどうにか回復し、南樺太(サハリン)が見えました。

実はここ、日本とロシアが最も近く接している場所のひとつだったりします。
当然、先の大戦末期には最前線だったわけでして。戦中に築かれた望楼なんかも残ってます。

 

日本は島国なので、普段国境を意識することって少ないんですが、ここに来ると、「国境はここにある」ってことがよくわかります。
国境の海を見て、再びここが戦場にならないことを祈らずにはいられませんでした。

  

宗谷岬でちょっと小腹が空いたので、つまみ食い。

これで400円って安いと思いません?(笑)

濃厚な磯の香り、ホタテの味わいを楽しんだ後は、さっさと稚内市内に戻って、レンタカーを返し、ホテルにチェックイン。
この日の宿は、ホテルドーミーイン稚内。天然温泉「天北の湯」があるホテルですね。

部屋に入ってみてその広さとしつらえに驚きました。

 

部屋の上質さ。そして天然温泉のお湯の良さ。とてもチェーンホテルとは思えません。大満足でした。

夕食の帰りに、思う所あって道路標識をパチリ。

日本語、英語表記は普通ですが、この街ではもうひとつ、ロシア語での表記があります。
実は道内でもう一つ、ロシアと国境を接する街である道東の根室市でもこのような表記をみることができます。

やはりここは国境地帯というわけですね。

翌日もまた早いので、ゆったり温泉に浸かった後は早々に寝ることにいたしました。

<2012/09/15 午後のドライブコース>

日本最北の鉄道

(写真は全てクリックすると拡大します)

朝は5時半に起床。
前夜に調達したあんパンの朝食を取り、ホテルを6:30にチェックアウト。
目的地の予報は良くないはずだが、札幌の天気は悪くない。

北海道内の特急の自由席争奪はシビアだ。
何しろ移動時間が半端じゃないので、座り損ねるとダメージがでかい。

なので、指定席が取れなかった時に、確実に座りたいと思えば、1時間以上前からホームで並ばなければならない。

この日、僕は指定席を取り損ねていたので、6:45頃から札幌駅の7番ホームで並ぶ羽目に。
しかも、1時間以上前だと言うのに先客がいた。(^^;

そして30分前の段階で後ろを見てみれば・・ すでに20人以上の行列が。
やはり僕の読みは正しかった。30分前でいいやと妥協したり、10分前に来たりしたら、座れなかった。
そうかと思うと、僕の前に並んでいた男性の連れと思しき人が登場。
どうやらお父さんが一家を代表して、妻子の為に並んでいたらしい。献身的なものだ。
改めて、一人身の気楽さと同時に孤独を噛み締める。

7:30過ぎ、案内のアナウンスが響き、ホームに列車が入線してきた。

JR北海道キハ261系特急気動車 0番台の4両編成。
JR北海道が誇る特急型気動車のうち、空気バネ方式の車体傾斜機構を備え、最高速度130キロを誇る最新車両だ。

札幌と最果ての地 稚内を5時間41分かけて結ぶ特急スーパー宗谷1号。それが僕の乗る列車だった。
ドアが開くとすぐに乗り込み、左側の窓側を確保する。

実はこの261系に乗るのは初体験だった。
特急気動車だと281系や283系にはよく乗るのだが、なにぶんこの261系は、スーパー宗谷と、帯広行きのスーパーとかちにしか使用されていない。
内部は、裾絞りの少ない車体のせいか283/281系よりもやや圧迫感を感じる。

定刻7:48に札幌を出発。列車は函館本線を滑るように北上する。
車窓に見えるのは石狩平野の田園風景。

 

そしてだんだんと山が近くなって来て、石狩平野の終わりを告げる。
トンネルをいくつか潜ると、再び開けた土地に出る。そこは上川盆地。
石狩川を渡ると、すぐに旭川駅。

旭川駅から先は、いよいよこの旅の目的の一つ。日本最北の鉄道路線「宗谷本線」に入る。
この「宗谷本線」は全長259.4kmで、国内の地方交通線としては最長を誇るらしい。

戦前は稚内から稚泊航路を利用し樺太に至る大幹線として、おおいに賑わっていたというこの路線も、現在はただのローカル線の扱いである。

沿線はどんどん田畑も減り、徐々に原生林の雰囲気が強くなる。

 

やがて名寄駅を過ぎたあたりから、北海道第3の大河・天塩川に沿って線路は北上を続ける。

 

この天塩川、非常に流れが緩やかな様子で、場所によっては蓮の葉が浮いている場所もあるほど。
かつてこの川が水運の要であったと聞くが、なるほどこのゆるやかな流れであれば、川船が行き来するのは容易であったろうことが想像できる。
むしろ道路の無かった時代、熊や鹿が出る山林を抜ける危険を犯すよりも、川をたどる方が遥かに安全で早かったに違いない。
かつて山々から切りだされた木々で筏が組まれ、遠い河口の天塩の港まで川を下っていただろう光景を想像しながら車窓を眺めてると、やがて線路は川から離れ、果てしない草原を抜けていく。
そして草原の向こうに、雲に隠れながらも微かな山陰が見えてくる。

利尻富士だ。

利尻富士は俗称。正式には利尻山というらしい。北海道の北端からやや北西に浮かぶほぼ円形の島・利尻島の主峰で標高は1721m。
これだけの大きさの山が海から突然ニョッキリ生えてるのだから、遠くからもよく見える。
この山が見えれば、稚内はすぐそこだ。

そして列車は木も生えぬ丘を越え、12:30過ぎに最北端の駅・稚内へと到着した。 (つづく)

 

  

<2012/09/15 午前中の移動経路>

旅立ち

18時。業務終了とともに会社を飛び出し、大井町駅のロッカーに預けてた荷物を取り出すと、18:45発のバスに乗り羽田へ。
空港内で夕食としてかつカレーを食べ、20:30発ANA81便で北海道に飛び立つ。

旅に行きたいと思ったのは、今年の元旦。
今年は旅をする年にしようと目標を立てた。

その時に、行き先はすでに決まっていた。最果てのさらに先にある島。花の島と呼ばれる島。

実際に計画したのは8月の終わり。
そういえば今年は旅をしようと思ってたのに、結局してない、と気づいた。
そして公私ともに少々疲れてきていた。

最後まで迷ってた。
旅には金がかかる。そんな贅沢をしていいのか、と。
でも、まぁ一歩踏み出さなければ何も始まらない、と。やってみなきゃわからない、と。
やって出来ない事などない、と心に決めて、計画した。

計画とは言っても、細かなことは決めてない。
そこは一人旅の気楽なところ。行き帰りの移動手段と寝床さえ確保すれば、途中はどう過ごしても構わない。
気まぐれを起こしたって、非難する人もいなければ、迷惑を被る人だっていない。
だったら、自分の好きにするだけだ。

新千歳空港に着いたのは22時10分過ぎ。
22:31発の札幌方面行きの列車は溢れそうなほどの満員。なので一本やり過ごし、22:50の最終列車で札幌へ。

途中、南千歳駅で、青森行の夜行急行列車「はまなす」とすれ違う。
今時全国的にも珍しくなったブルートレインだ。

これから夜を徹して走るであろう列車を見送り、40分ほどの走行で道都・札幌に到着。
途中、セイコーマートに寄って翌朝の朝食を調達し、早々にホテルへ。

この日の宿泊先は、東横イン札幌西口北大前。
本番は明日から。なので今日はただのビジネスホテル。

今年やけに多かった出張のおかげでポイントが溜まっており、一泊タダで宿泊できた。幸先のいいスタート。
翌朝は早いので、さっさと寝ることにした。